長い小説短い小説漫画トップ案内ブログリンクweb拍手
ゼッタイダヨ。(改稿版)
 タブンネを殺してはいけない。絶対だよ。


 目の前にピンクの肉塊が転がっていた。ほんの少し前までは生きていた。私はただ呆然と、それを見下ろしていた。
「嘘でしょ」
 草むらから飛び出してきたから、これはチャンスだと思って、手持ちのジヘッドに攻撃させた。タブンネはあっけなくやられて、動かなくなった。予想以上にレベル差があったのだ。
 事故だよ、事故。私は自分に言い聞かせる。事故だ。野生ポケモンを追い払おうとして攻撃して、当たりどころが悪かったという不幸な事故は、珍しいものじゃない。私はとりあえず十字を切って、タブンネの遺体を草むらの奥に押し込んだ。脱力したタブンネの体は重たくて、作業に時間が掛かってしまった。その間、青空をくり抜いたような瞳が遺体に不似合いな爽やかさで、ずっと私を見ていた。
 タブンネ、ヒヤリングポケモン。優しいポケモンで、戦う相手に経験値をたくさんくれる。並外れた感覚でポケモンの体調をよく捉えるから、ポケモンセンターでも助手ポケモンとして多く飼われている。そんな優しいポケモンだけど、一つだけやってはいけないことがある。タブンネを、どんな理由であっても、殺してはならない。殺したら、大変なことになる。
 他のポケモンなら、シキジカやバッフロンなら食肉として利用されるかもしれない。暴れて被害を出して、駆除されるポケモンだっているだろう。でも、タブンネは、タブンネだけは、いかなる理由があっても殺してはならない。旅に出てから、先輩トレーナーたちに口を酸っぱくして言われたことだった。
 そんなの、都市伝説よ。私は思う。学校や家庭で、そんなこと聞いたことない。言ってるのは、バトルトレーナーと言われる専業のトレーナーたちだけ。きっと都市伝説。手持ちのポケモンたちの経験値の為にタブンネを“狩る”彼らなりの良心の現れ。例えば魂を食らうとか死者に供えられた蝋燭が化けるとか言われてるヒトモシならまだしも、タブンネで何かしら大変なことなんて、起こるわけがない。
 それに、これは事故。ノーカウント。きっと、大変なことになんてならない。タブンネを隠し終えた私は、立ち上がって汗を拭く。大変なことなんてなりはしない。もう一度そう自己暗示をかけて、ジヘッドをボールに戻そうと振り向いた。
 そこにジヘッドはいなかった。
 私は目を疑った。
 いたのはサザンドラだった。
 私が惰性で構えていたボールに、サザンドラは小首を傾げながら吸い込まれていった。私も首を傾げながら、スマホのアプリでサザンドラのデータを調べた。それによると確かにこの子は私のジヘッドだったポケモンらしい。でもおかしい。このジヘッドは今朝モノズから進化したばかりなのに、あのタブンネでは一発でサザンドラへ進化するほどレベルは上がらないはずなのに。私はスマホの画面を注視したまま呆けたようにその場に立ち止まって考えて、そしてある仮説を立てた。

 目の前にピンクの肉塊が転がっていた。ほんの少し前までは生きていた。私は手袋を嵌めて死体を草むらの奥に隠すと、次を探した。後ろでは学習装置を付けたハクリューが、ほんの数瞬前までミニリュウだったポケモンが、くるぐるくるぐる、歓喜か嗚咽か分からない鳴き声を上げている。
 ――最初の事故から暫くして、私は二度目の“事故”を起こした。バトルで勝てないとか、育成が上手くいかないとかフラれたとか色々あって、手加減を間違えたのだ。そして、その“事故”で私は、あの日立てた仮説が正しいことを確信した。
すなわち、タブンネは普通に倒すだけでもポケモンを良く成長させるが、殺せばその成長度合いは桁外れのものになる、ということ。人が来ないような場所にある草むらを探す手間はあるが、対価はそれを補って余りある。
 私は思う。タブンネを殺してはいけない、なんて都市伝説、端から出鱈目だったのだ。きっと、この美味しい情報を他に知られるまいと思った誰かが流したものだろう。
 私は静かな草むらでタブンネを探す。私の手持ちには育成中のポケモンがハクリューを含めあと五匹、控えている。
 これを始めてから、私のバトルの勝率は目に見えて上がった。今まで二十連勝くらいしか出来なかったバトルサブウェイで、四十八連勝してサブウェイマスターに挑むのが当たり前になった。そうなるとバトルが楽しくなる。もっと色んなポケモンを育てたくなる。ガブリアスも、バンギラスも、メタグロスも、ハピナスも育てたい。砂パも雨パも試したいし、マイナーどころを主軸にした冒険的なパーティも作りたい。
 その為に、タブンネ。

 探していたタブンネは、間もなく出てきた。いつも通りサザンドラを出してやっつけた。いつも通り使い捨ての手袋を出して死体を草むらの奥に押し込めようとした矢先、タブンネが不意に首をもたげて、言った。
「気付け」
 私は慌てて手を離した。仕留め切れなかったのかと思ったが、ハクリューはカイリューに進化しているし、タブンネはきちんと事切れている。余力を振り絞って動いたものらしい。それと幻聴だろう。私はさっさとタブンネを草むらの奥に押し込むと、その場を去った。疲れているのだろう。今日はさっさと休もう。道中、背中を這い回るような視線を感じて後ろを振り向いたが、静かな湖面が晴れ渡った青空を映しているだけだった。いよいよ疲れている。
 町に戻ってポケモンセンターを目指して歩いている時も、舐め回すような視線をずっと感じていた。気になって何度も辺りを見回す。そんな私の行動が目立ったのか、知らない小男が一人、私に近付いてきた。
 私は顔を顰めた。嫌な臭いのする小男だった。小男は妙に円な目で私を見て、言った。
「トレーナーさん、トレーナーさん、それはよろしくない」
 変な言いがかりを付けないで、と言って私は一歩下がった。すると小男は一歩距離を詰めた。ボロ布同然のマントの下から、まるで腐った肉でも持ち歩いているのかのような臭いがする。トレーナーとは名ばかりの、浮浪者だろう。私みたいにバトルで連戦連勝すれば、美味しい物も食べられるし、綺麗な服も着られるのに。
「トレーナーさん、トレーナーさん」
 小男の目が嫌に気になった。それは、小男を持ち上げてみたら、目玉のところで頭蓋が貫通して見えそうなくらい、青空そっくりの空色だった。
「今まで倒したタブンネと同じ数の蝋燭を、殺したのも普通に倒したのも含めた数を、一番近いタブンネの墓に、供えなさい。悪いことは言わない。そうしなさい」
 小男はそれだけ言って去っていった。
 なにそれ、馬鹿らしい。小男が見えなくなった後、私は小さな小さな声で呟いた。タブンネを倒した数だけの蝋燭なんて。
 でも、気味が悪いから念の為、蝋燭を百本買って、さっきの草むらに行った。すると先程は見当たらなかった祠があって、中を覗くと、蝋燭をたくさん並べられるよう、窪みの付いた仕切り板が入っていた。下の方に十数本、燃え尽きそうな蝋燭が立っていた。私は蝋燭の封を解いて、その中に白い寸詰まりな蝋燭を追加した。倒したタブンネの数は分からないが、百本もあれば十分だろう。奥から順にライターで火を付ける。数が数なので流石に時間が掛かり、全部灯し終えて祠の扉を閉じた時には、空の方も焼けたように赤く染まっていた。

 今度こそ、私はポケモンセンターに向かった。
 自動ドアをくぐった。どこの町でも同じポケモンセンターの内装が、トレーナーたちに安心感を与えてくれる。
 私は真正面にあるカウンターに向かう。
「すいません」
 タブンネ? ピンク色の生物がこっちを見て、私は何故かドキリとした。何を考えているんだろう。この子は野生のタブンネたちとは無関係のはずだ。
「誰かいる?」
 タブンネ。
 タブンネは短い手を私に差し出した。ちょいちょい、と指を動かす。私が反応に困っていると、タブンネはカウンターの下からトレーを出してきた。穴ぼこが六つ空いた金属製のトレー。ポケモンを回復機械にかける時に、モンスターボールをセットするのに使うやつ。さっきの祠の仕切り板にも似ている。
 タブンネ。
 タブンネはトレーを私に差し出した。回復してやる、ということだろうけど。
「ねえ、人を呼んで」
 しかし、タブンネは引かない。私は仕方なくトレーに六つのボール全部をセットして、タブンネに渡した。タブンネは奥のドアをくぐって姿を消す。カウンターの中に回復機械があるのに。奥に行く時は混んでる時だけのはずなのに。今はとても空いているのに。
 戻ってきたタブンネの手に、トレーはなかった。タブンネはタブンネ、と言って私に鍵を渡した。キーホルダーに数字が刻印されている。ポケモンセンターの宿泊部屋の番号。
「ねえ、私のポケモンは?」
 聞いてみるが、タブンネはタブンネ、と言って奥に引っ込んでしまった。あのタブンネでは話が通じない。人を探そうかとも思ったけれど、関係者以外立入禁止の多いポケモンセンターをうろうろするのは気が進まない。鍵も貰ったことだし、丁度疲れていたし、一旦部屋で休むことにしよう。窓の外を見ると、もう日も沈んでいた。
 私は番号の合う部屋に入り、着替えだけ済ませてベッドに倒れ込む。すぐに眠りに落ちたが、心地良い眠りとは言いがたかった。
 夢の中で私は逃げ続けていた。何から逃げているかも分からず、逃げていた。逃げ道などどこにもないと分かっているのに。途中、何度も目が覚めたり、夢に戻ったりした。夢でも現でも逃げ続けているような感じがした。
 目が覚めた。目覚まし時計のアラームが鳴っていた。いつもと同じ六時。けれど、外はまだ暗い。今日はお日様と一緒に起きることにしよう。私は布団を被り直して、二度寝を決め込むことにした。夢見が悪くて寝不足だったのか、今度もするりと眠りに落ちた。けれど、嫌な夢は見なかった。
 次に起きる。十時。びっくりして飛び起きた。しかし、外はまだ暗い。おかしい。いくらなんでも、もう日が昇っているはず。曇っているのだろうか。空を見上げようとしたけれど、嵌め殺しの窓の向こうには隣のビル壁が迫っていて、空を見ようにも見られなかった。天気の確認は諦めよう。
 私は荷物をまとめてポケモンセンターのロビーに向かった。もうポケモンたちの回復は終わっているはずだ。鍵をカウンターの上に置いて、その場に陣取って、しばし待つ。タブンネが出てきた。
「ねえ、昨日預けたポケモンたちを受け取りたいんだけど」
 タブンネ。
「回復、もう済んでるでしょ?」
 タブンネ。
「それとも、なにか具合でも悪かった?」
 タブンネ。
「ああもう、あなたじゃ話にならないから、人を呼んでくれる?」
 タブンネ、タブンネ。
 目の前のタブンネは、笑っているだけ。
 しびれを切らした私は、手を口の横に当てて叫んだ。「誰かいませんか」返ってきたのは静寂。そしてタブンネの笑い声。
「誰もいないの? まさか」
 そのまさか。私ははっとしてロビーを見回す。誰もいない。受付の人はおろか、ポケモントレーナーさえ、町の人さえ、人っ子一人いないロビー。
 町の中心のポケモンセンターのロビーに私一人しかいないなんてことが、あるだろうか。あるとして、それは天文学的に低い確率だと私の脳が弾き出す。ここにいるのは私とタブンネだけ。タブンネだけ。
 タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
 カウンターを振り返った私は悲鳴を上げた。誰か、はいた。ポケモンセンターの奥の関係者以外立入禁止の向こうからやってきた。ピンクの丸こい体つきのポケモン、タブンネが、タブンネだけが、大量に。
 自分の鼓膜が引き破かれそうな悲鳴を上げて、私は出口へ走った。自動ドアは開かない。手を掛ける。力を込める。自動ドアは今度は閉じる方向に意志を定めたかのように動かなかった。踏ん張る私の足ばかり滑る。
 タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
 タブンネたちがやってきた。私は悲鳴を上げる。恥も外聞もなく、謝罪らしき言葉を吐きながら、自動ドアに手を掛ける。
 タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
 ピンク色の肉の塊が迫ってくる。ごめんなさい。私は叫ぶ。ほんの出来心だったの。バトルで勝ちたかったの、分かって――
 タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
 衝撃。タブンネと自動ドアに挟まれての衝突。突撃系の技を食らったらしいと気付くも遅く。肉塊で押しつぶされた私の意識に嫌な臭いが入り込んだ。


 今日未明、町の外の草むらで、旅装のトレーナーが遺体で発見された。タブンネ。
 遺体の状況から、バトル中、外れたポケモンの技が直撃したものと思われる。タブンネ。
 このようなバトル中の不幸な事故は、決して珍しくない。タブンネ。
 バトルする皆々様は注意されたし。特にタブンネ狩りが好きな皆々様は。ゼッタイダヨ。
ページ上部へ▲
inserted by FC2 system