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雪下の檻

 ○

 雪下の檻に、おれ独りだけが残っていた。
 他の仲間は逝ってしまった。人間たちの投げた球に当たって、人間たちに尻尾を振って、満足して逝ってしまった。

 おれは、まだ逝けない。

 丸く切り取られた空に、丸い月が浮いていた。 

 ○

 キッサキシティは今日も雪。

 まことは教室で、丸いぼんぐりを真ん丸に磨いている。
「またモンスターボール自作してる」
「買うお金ないんだよ」
 クラスメイトの聞こえよがしな悪口をBGMに、まことはぼんぐりの中身をくり抜き、その内径にたまいしを合わせる。
「毎日同じ服だもんね」
「よりによって、灰色のパーカー」
「あれ、小学校から着てるんでしょ?」

 まことがボールのてっぺんに穴を開ける。するとクラスメイトが「出たー、謎の穴」と言って笑う。
 まことは構わず、レシピの通りにモンスターボールを作る。
 それの一連の流れを、おれは、球に空いた小さな穴から見ている。

 ボールの形が出来上がったところでチャイムが鳴り、先生がやってくる。
「先生、まことさんが授業に関係ないもの持ってきてます」クラスメイトが言いつける。
「片付けなさい」先生が言う。
 まことは机の上をさらえて、ボールと彫刻刀と研磨紙を、木くずごと鞄の中に流しこむ。
 おれの視界に、木くずと一緒に丸いボールが飛びこんでくる。

 ○

 丸い空、丸い月、モンスターボール。
 雪が固まっただけの天井を踏み抜いて、人間が落ちてきた。落っこちた人間は、おれを見て固まっていた。おれも、突如降ってきた人間を見て固まっていた。
 人間の方が先に我に返って、手に持っていたボールを投げつけた。

 おれはこうして、案外あっさり捕まったのだった。

 ○

「“のろいぎつね”が出るので、早く帰るように」
 学校での一日が終わる。

 キッサキシティの外れにぽつんとある一軒家が、まことの家だ。
「ただいま」
「おかえり、まことちゃん」
 まことの母は、まことと同じ灰色のパーカーを着ている。
「お惣菜をもらってきたから、夕食にしましょう」
「はい」
 とまことは答える。

「学校は楽しい?」
「はい」
「きちんと勉強してる?」
「はい」
 そこでやにわに、まことの母は目の色を変える。
 おれは、ああまたいつものが始まった、と思う。

「いい、しっかり勉強しなきゃだめよ、まことちゃん。
 まことちゃんが正統の血筋なんですからね」
 まことの母は、丸いエンブレムの付いた胸を張る。雪に囲われた町の中で、母のいる一点だけが妙に熱っぽい。
 まことは夕食を口に運びながら、言葉の切れ目に「はい」と相槌を打つ。

 まことの家には、知らんおっさんの肖像画が二枚、飾られている。
 彼らはこの地の初代の王様で、まことはその血を引いている、というのが母の弁だ。
 他にも写真やらレシピやら色々あって、その雑多な色々が、まことがキッサキの王であることを示すものなのだと言う。
 今の町長(ジムリーダーのこともある)は、後からやってきてまことの先祖を王の座から追いやった“ロクデナシ”で、彼らは、モンスターボールを使わずにポケモンと心を通わせる王の一族を恐れているのだと言う。

 その割には、まことの家にはモンスターボールのレシピがある。

 ○

「“のろいぎつね”が出るから、早く寝なさいね」
 家での一日が終わる。

 母が眠ったら、まことはそっと家を出る。
 キッサキシティのはずれのまことの家から、さらに町のはずれ、雪原へ向かう。

「出てきてください、“タマ”」
 まことが手の上に乗せたモンスターボールを開いて、おれは外に出る。
 まことに捕まって以来、おれの呼び名は“タマ”となった。おれは猫ではなくて狐だし、白い毛はところどころ紅に逆立ち、目は恨みのこもった四白眼、どこにも丸みはないのだが、
「タマ」
 まことがそう呼ぶのでおれは“タマ”だ。
 まことがおれを見上げる。
「窮屈ではありませんでしたか?」
『そうでもないよ』
「なら、いいのですが」
 夜の短い時間の空気を、肺いっぱいに貯めるように吸う。
 まことは雪原の奥、木立の並んでいる方へ足を向ける。
「今日も歩きましょうか、タマ」

 月は欠け始めていたが、雪が光を返して、どことなく明るい夜だった。
 ざくざくと、一人と一匹が雪を踏む音に、偶に、小さな声が混じる。
 時おり、ぼんぐりやたまいしを見つけて、まことが採集したり、頼まれて取ってやったりする。
 そうしてしばらく行くと、まことが踏み破った雪の丸い穴に着く。

 覗きこむ。月が出ているのに中は真っ暗だった。
「タマ」
 隣で座りこんで中を見つめながら、まことが呟く。
「私のポケモンでいる必要は、ないんですよ。これは正規のモンスターボールではありませんから。逃げることもできるはずです」
 おれは胸いっぱいに吸った、雪原の夜の氷のような空気を吐く。
『何度も言わせるな。逃げるほど情に薄くもない』
「……きっと、私が都合よくそう思っているだけですよね」
 まことの口元から白い息が立ちのぼる。
 まことに“そう”聞こえているのが、正しくおれの言葉なのに。
 おれはまことの頬をべろりと舐める。少ししょっぱく冷たい頬におれの熱が移る。

 熱は雪夜にすぐ奪われた。
「“のろいぎつね”が出るそうなので、帰りましょうか」
 短い夜が終わる。

 ○

 キッサキシティは今日も雪。

 まことがぼんぐりを磨く音。
「またモンスターボール自作してる」
 クラスメイトの悪口。
「先生、まことさんが授業に関係ないもの持って」
「片付けなさい」

「“のろいぎつね”が出るので、早く帰るように」

 ○

 町はずれのぽつんと建つ一軒家。
「ただいま」
「おかえり、まことちゃん」

「いつ玉座に戻ってもいいように、しっかり勉強するんですよ」
 熱っぽい母の言。
 いつもの相槌。

「“のろいぎつね”が出るから、早く寝なさいね」

 ○

 冷たい雪原の空気。
「タマは、まだ私と一緒にいるのですね」
『ああ、そうだ。そう言ってるだろが』
 まことのしょっぱくて冷たい頬をべろりと舐める。

「“のろいぎつね”が出るそうなので、帰りましょうか」

 ○

 キッサキシティは今日も雪。

「また同じパーカー着てる」
「先生、まことさんが」
「片付けなさい」
「“のろいぎつね”が出るので、早く帰るように」

 ○

 キッサキシティは今日も雪。

「ただいま」
「おかえり、まことちゃん」
「後から玉座を奪ったロクデナシどもに負けちゃだめよ」
「はい」
「“のろいぎつね”が出るから、早く寝なさいね」

 ○

 キッサキシティは今日も雪。

「タマ」
 おれに寄せられたまことの頬を舐める。相変わらず、冷たくて塩の味がした。
「“のろいぎつね”が出るそうなので、帰りましょうか」
 月はこの頃、すっかり出るのが遅くなった。

『おれのことが恐ろしいか、まこと?』
「いいえ、まさか」
 知らないのか。おれは質問を変える。
『“のろいぎつね”はそんなに恐ろしいか?』
「いいえ、慣用的に言ってるだけです。“おばけが出る”の類型で」
 まことが手に、白い息を吐きかける。
 少しだけ、寒さが緩む。

 全き白の雪原に、ぽっかり黒い穴が空いている。
 この中にいたときには、暗さなど気にならなかったのに。今は雪の白に穴の闇が、妙に浮かんで見える。
『まこと。“のろいぎつね”が恐ろしくないのなら、外に行かないか?』
 まことがおれを見上げる。
『夜が恐ろしくないのなら……夜毎家を抜け出すより、一夜徹して、遠くまで駆けていかないか? 誰もおれたちを知らないような遠くまで』
「どこまで行くのですか? キッサキから一番近い町に行くにも、山を越える必要があるでしょう」
 まことが南を指さした。
 キッサキの町の明かりがぽつりぽつりと灯る、その向こう。星空をのっぺり黒く染めて、大きな山が横たわっていた。
『おれならば、お前を抱えて、天冠の峠くらい越えられる』
 まことはおれを見上げる。おれは精いっぱい、胸を反らしてみせる。

 星がチリチリ燃えるような、冷たくて痛い静寂があたりを支配した。
 やがて。
「すみません」
 小さく、おれの口から戸惑いの声が零れた。
「私は、ここを出たいとは思わないんです」
 足元から雪がこぼれて落ちる。
 真っ暗な穴へ、こぼれて落ちる。

 ○

 キッサキシティは今日も雪。
「先生、まことさんが」
「片付けなさい」
 ――私の悪口を言って気が晴れるなら、別にいいんです。
「“のろいぎつね”が出るので、早く帰」
「ただいま」
「おかえり、まことちゃん」
 ――母には私が必要ですし。
「あなたは王の血筋なのだから」
「“のろいぎつね”が出るから、早く」
 まことの頬を舐めるおれ。
「先生」
「片付けなさい」
 ――緩衝や、ガス抜きの対象は、この雪に閉ざされた町では多少なり必要なものでしょう。
 ぼんぐりを磨く音。
「授業参観のお知らせ」
「“のろいぎつね”が」
「おかえり、まことちゃん」
 母の演説。
 まことの頬を舐めるおれ。
 ――私は、共感性や感情に乏しい人間ですから。
「“のろいぎつね”が出る」
 キッサキシティは今日も雪。
「“のろいぎつね”に呪われた」
 ――だから。
 キッサキシティは今日も雪。
「まことちゃんが玉座に」
 ――タマが心配するほどには、
 キッサキシティは今日も雪。
「ぼんぐり磨いてる変な子」
 キッサキシティは今日も雪。
 ――私は傷ついたりしていませんよ。
 キッサキシティは今日も

 ○

『いい加減にしろっ』

 教室は水を打ったように静まり返っていた。
 この一瞬後に狂乱が起こるのは目に見えているが、とにかくこの瞬間は静かだった。

 教壇の先生も、クラスメイトたちも、参観に来た保護者たちも、皆、教室の真ん中に急に現れた、白い狐の化け物を見つめている。
 まるで舞台役者にでもなったようだ、とおれは思った。

「“のろいぎつね”が出た!」
 静寂が破れた。

 逃げる者、逃げる気力もなくてその場に崩れる者。モンスターボールを構えたのはごく少数だった。
『ふん』
 白い髪をゆらりと冷たい炎に燃え立たせ、爆発するようなイメージで“展開”する。これでおれは、教室いっぱいの巨大な影に見えるだろう。“そう”見せるというだけで、実体のない“わざ”未満の児戯だが、これで何人かはモンスターボールを取り落とした。その中には、まことの陰口を叩いていた奴もいる。
『他愛ないなあ!』
 呵々と笑う。
 芯のある何人かが、ボールを投げる。ちらついていた雪がわずかに強まった。ユキカブリと、姿は違うがニューラか。あとは知らん。

『おっと』
 逃げる者は放っておいていいのだが、こいつは逃がすわけにはいかない。
 こっそり、倒れた保護者どもに隠れて教室を出ようとしていたが、
『お前はまことの何もかもあげつらって、チクチク言っていただろうが』
 紅い爪に幻影を纏わせて、高々と掲げる。
 それが振り下ろされるとどうなるか、分からない頭でもないようだ。恐怖に顔を歪めている。
 せめて、もっと前にどうなるか考える頭があれば良かったんだがなあ、とおれは思う。

「タマ、やめてください」
 まことの声がした。
「私は怒ってませんから」
 まことがしゃべると、教室の連中がまるで救世主みたいにまことを見る。これまでまことを無視したり、陰口を叩いたりしていたのに。

 おれが黙っていると、みるみる、空気が緩み始めた。授業の終わりが近づいたときに似ている。それがひどくおかしくて――ひどくおかしすぎて、おれは爪を下ろした。
 “ホッ”とした空気が教室を包んだ。

 残念だ。

 急冷された窓ガラスにひびが走る。
『だったら何故』
 強まった雪が脆くなったガラスを割り、教室を零下に塗り替えていく。
『だったら何故、おれは毎夜、まことの涙を拭っていた』
 “うらみつらみ”ぞ深ければ。
 空間を雪と、膨れ上がった幻影の白色が埋める。
 水面に落とした色水のように、紅が揺らぎ混じる。
『おれはおれの勝手で怒るぞ、まこと』
「そうですか」
 まことが一歩引く。教室の人間にさあっと失望の色が面白いくらいに広がった。
「まことさん、その“のろいぎつね”はあなたのポケモンなんでしょう。あなたが指示をして」
 モンスターボールを取り落とさなかった先生が、口から唾を飛ばす。まことは数秒、状況把握のズレを認識するのに使って、手のひらに拳を打つ。まことは、自分がおれの言うことを非常に正確に把握しているということを、今一つ正確に把握していない。
「タマは私の置かれた状況に対して、非常に立腹しているそうです。あまりにも皆さんに対して立腹しているので、今は私の指示は聞きません」
「でも、まことさんは怒ってないんでしょう!?」
「私が怒っていないことと、タマが怒っていることは、別の話でしょう?」
 先生がなんとも面白い顔になった。蜘蛛の糸が目の前でプツンと切れたら、こんな顔になるのだろう。

 まことが一歩引く。
「バトル、止まってましたね。どうぞ」
 先生とあと二人が、てんでバラバラな指示を出す。
「“のろいぎつね”を倒せ!」と鬨の声だけは威勢が良い。
 おれはユキカブリを窓の外に投げ飛ばし、知らん種類のポケモンが“わざ”をスカして自滅したのを見送り、ニューラに“じんつうりき”をぶつけて空振った。ニューラも引っかこうとして空振った。効きの悪い“シャドークロー”とニューラ一匹だけしか参加しない“ふくろだたき”で泥臭い殴り合いになった。
 最後はドタバタしたが、とりあえず勝った。

「まことちゃん! 素晴らしいわ。あなたが王の……」
『うるさい。まことはお前の箔付けじゃない』
 威圧すると、まことの母は腰を抜かして床にへばりついた。

 こんなもんか、と教室を見渡す。なかなかの惨状だった。
 おれと、おれのトレーナーのまことに恐れをなして、先生も保護者もクラスメイトも、人間は四角い教室の辺に張りつくように縮こまっている。規則正しく並んでいた机と椅子もバラバラに飛び散らかって、鞄やノートや筆記用具も飛び散らかって、誰が誰のやら。
 おっと。まことのクラフト道具は回収しよう。
 まことは飛び散らかった机を並べ直していた。

「タマって、“のろいぎつね”だったんですか?」
『そう呼ぶ奴もいる』
 おれは紅の入った白髪をばさりと振る。
『恐ろしいか?』
「いえ、慣用的に言っていただけですし、それに」
 まことが笑う。
「タマはタマですから」

 ○

 まことは教室で、ぼんぐりを磨いている。
 相変わらず遠巻きにされているが、悪口を言う者はいない。
 おれが器用にまことの椅子の背に乗っているから、悪口を言う奴はいないのだ。いや全く、我ながら器用に椅子の背に乗っている。
 偶に落ちそうになるので、姿勢を変える。
「あ」
『どうした、まこと』
 まことが研磨紙をぼんぐりから離す。
「削りすぎてしまいました」
 おれがちょっと動いたせいかもしれない。
『……。別に、大丈夫だろ』
「いえ、少し凹んでいます」
 ぼんぐりの凹んだ(らしい)所を確かめて、まことは頬を膨らませている。

 まことの母親はあれから、おっかなびっくりお菓子をまことに出してみたり、手料理というものに挑戦してみたりしている。が、まことはこの調子だ。その内良いように落ち着くだろう。

 まことはぼんぐりを削りすぎの箇所に合わせて、さらに削っていく。
 次は丸いたまいしをさらに真ん丸に磨き、ぼんぐりに合わせる。
 それがぴったり合わさると、まことは機嫌が良くなった。足をぷらぷら振っている。

『いい日だ』
 キッサキシティ、今日も雪。
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