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ピジョンの空を飛ぶ!
 夜明けを告げる鐘が鳴る。
 ピジョンのソラマメは銀の鐘楼が朝焼けに染まるのを見ながら、今日も憂鬱な一日が始まったと思った――



 ここはポケモンしかいない世界……の中でも珍しい、鳩しかいない国・ハトオブハトキングダム。
 国民はポッポ・ピジョン・ピジョット・マメパト・ハトーボー・ケンホロウ。雉がいる気がするが国民はこの二系統に限定され、獣・魚・草本・樹木・家電はもちろんノーマル・飛行タイプであっても鳩でなければ国籍を得ることまかりならんという変な国である。

 いや、“だった”。

「行ってきます」
 ソラマメは誰もいない狭い部屋――通称“巣箱”の中に声を掛け、外に出た。行き先は決まっている。この王国きっての大通りが伸びる先、王城である。
 行きたくなんてないけど、という言葉は飲み込んで、ソラマメは王城へトコトコと歩いて行く。途中、何羽か知った顔の鳩を見かけたが、挨拶はしなかった。向こうだってソラマメに挨拶されたら迷惑だろう、と思いながら。
 馴染みの豆屋で、そこのピジョットのおばさんにはお世話になってるから、流石に挨拶していこうかな、と思う。
 けれど、店先を一瞥して、やめにした。豆屋に来ている客を見た瞬間、話しかけたくなくなったのだ。ソラマメは店番をしているおばさんと目を合わさないように顔を伏せて、早足で通りを歩いていった。

(なんであいつらがいるんだよ。畜生)

 鳩胸の中に沸き上がってきたモヤモヤは独りよがりで、それが余計にモヤモヤの不快感を増長させていく。その独りよがりをぶつけるように、ソラマメは道に積もった細かな砂粒のひとつひとつを睨みつけて歩いた。

 あいつらがいるのだって、別に悪くはない。心の中の、もう一羽の自分が勝手にしゃべりだす。
 あいつらは法を侵してるわけじゃないし。
 あいつらはそういう権利を持ってここにいるわけだし。
 あいつらは――

 ああ、もう、うるさい。
 ぐるぐる回る考えを振り払うように、ソラマメは頭を振った。前後ではなく左右に頭を振ったので、通りすがりの鳩たちがちょっとばかり驚いている気がする。そうこう考えている内に、もう城門に着いた。国民が鳩だから、高い壁は用をなさないから、門は嫌味なほど低い。
「これはこれは、ソラマメ三曹。城門を開けなきゃなりませんね?」
 門番の鳩が薄笑いを浮かべてソラマメに話しかける。
 憂鬱な一日は、まだ始まったばかりだ。

 城の天辺では、ばかでかい鳩が誇らしげに翼を広げている。



「よう、ソラマメ三曹! 今日は歩きか?」
「足腰のトレーニングかい? 精が出るねえ」
 うるさい! と叫びたいのをグッと堪えて、ソラマメは同僚の鳩たちを睨みつけた。
 それだって、やらなければよかったとすぐに後悔した。同僚たちはソラマメを嘲るように、さっさと自分の持ち場へ飛び立っていく。
「今日も訓練がんばれよ、銀豆の御曹司!」
 プププ、と騒々しい羽ばたきの音とともに、嘲りが遠のいていく。ソラマメは思いっきり嘴を食いしばってから、自分の持ち場へと向かった。

 城壁を見上げると、首が痛くなった。城を囲む壁とは逆に、守られるその本体は嫌味なほど高かった。天まで届くと謳われる城の先っぽでは、あのばかでかい鳩が誇らしげに翼を広げているのだろう。幸いにも、城の中庭からでは城が近すぎて、頂上にある鳩なんて見えない。
 ソラマメはため息を押し殺して位置につく。
「本日も晴天なり! 諸君、天と地とその御子・鳩王に敬礼!」
 曹長が三つある首全部を使って怒鳴った。ソラマメは曹長の指示通り、翼を胸の前で軽く組んでかしずく、鳩族の敬礼をした。けれど、この中庭でその敬礼をしたのはソラマメただ一羽だった。

 曹長は三つある長い嘴を交差させる。それが彼らドードリオたちの敬礼なのだ。他の連中は大体、獣型の種族がやる前足を折った半端な伏せみたいなのをやっている。この部隊にいる奴は、大体そう。

 ソラマメを除いては。

 父さんが今のソラマメを見たらどう思うだろう。自分の息子が王立軍に入るとは常々思っていなかった父だが、こうなるとは予想していなかったに違いない。スッ、と鋭い何かがソラマメの胸に入り込んだような気がした。もちろんそれは気のせいで、いつもの被害妄想なのだけれど。父さんのことなんか思い出して、ソラマメは一層腹ただしくなった。
 その苛立ちを紛らわせるために、ソラマメは部隊の連中を見回した。どうせ敬礼の次は曹長のつまらない説教なのだから。

 小柄なポニータが真面目くさって説教を聞いている。その隣ではレントラーとヘルガーが、つまらなさそうに曹長の説教を聞いている。今朝、ソラマメ行きつけの豆屋にいた連中だ。あいつら豆なんて食わないだろ、何しに行ったんだよ、とソラマメはまた胸くそ悪くなった。
 その隣にはガーディ、タテトプス、メタングといつもの面々が並んでいる。軍隊のメンツは本来コロコロ入れ替わるものではないが、今の王国ではそうとも言えない。現に、隊列の端っこには新顔のイーブイがいる。

 なんだあいつ。ちぇ、一丁前に空色のスカーフなんかしやがって。
 ソラマメは小さく嘴を尖らせた。八つ当たりだと分かっていても、難癖を付けずにはいられない。悪い思考だと分かっている。が、いつもそうなのだ。部隊に、自分より足の速そうな奴が来た時は、いつもそう。

 我ながら嫌になる。

「おいっ、ソラマメ三曹。話を聞いていたか?」
 唐突にドードリオ曹長がソラマメを名指しした。いや、ぼーっとしていたのだから当然かもしれない。
「聞いてました」
「じゃあ、何の話をしていたか答えてみろ」
 返す刀でしっかり黙らされたソラマメの姿に、小さくて、でも遠慮のない笑い声が上がる。追い討ちをかけるように、曹長の怒声が三重奏でソラマメの耳に突き刺さった。
「全く、お前には三曹としての自覚があるのか! そんなだから先の戦争もこの国は大敗を喫したのだ!」

 あんたはその時、この国にいなかっただろ。
 ソラマメの鳩胸の中がかぁっと熱くなった。
 目を合わせれば生意気だと詰られる、目を逸らせば真面目に話を聞いてないと吊るされる。ソラマメは、顔を上げてけれど目は合わさず、必死に説教に耐えた。

 ドードリオである曹長が、あの戦争より前にこの国にいたはずがない。今たくさんの種族がいるのは、この国が戦争で負けたせいなのだから。なのに、自分もその時から王立軍で貢献してたみたいに言ってほしくない。この国のことを、鳩でもない新参者に語ってもらいたくなんてない。
「全く、銀の豆勲章を授与されたかの英雄は――」
 あんたにその英雄のことを語ってほしくない。

「あのさあ」
 場にそぐわない間の抜けた声が、突如曹長の説教に割って入った。隊の全員が声の主を見た。
 あのイーブイだ。空色のスカーフをした、新入りの。
 軍で階級が上の奴の説教を中断するなんて何者だと、他のポケモンがそういう目で見ているのに気付いているのか、気付かない振りをしているのか、イーブイは黒豆のような目をクリクリさせて言った。
「オレの自己紹介、まだなんだけど」
「あー……そうだな」
 思わぬ横槍に気勢をそがれた曹長は、言うことも思いつかないらしくあっさりと引き下がった。

 隊の全員が沈黙する中、当のイーブイは脳天気にちょこちょこと前に進み出て、くるりと振り向いた。
「どーも、今日からここでお世話になります。アルっていいます。種族は見ての通り、イーブイです」
 空色スカーフのイーブイはそこまでひと息に行って、ペコリとお辞儀をした。そして、行きとは少し違う沈黙の中を、またもや平然と元の場所へ戻っていく。

 エヘン、と曹長の首が三つ同時に咳をした。ヘンテコな沈黙が破られて、二曹のポニータが訓練の内容を告げる。いつものように、持久走から始まって嫌な訓練をする時間だ。

 ただ、いつもと少し違うのは。
 ソラマメは隊列の端っこをちらりと見た。

 空色のスカーフを巻いた、イーブイがいること。

 持久走開始の合図に怒号のような返事をして、王立陸軍第一小隊が一斉に走り出す。
 ソラマメも慌てて駆け出した。案の定、アルはソラマメよりも足が速かった。
 のみならず、ドードリオ曹長とポニータ二曹を除く他の連中よりも足が速かった。このイーブイ、大物か、それとも大馬鹿か。

 それにしても、お世話になりますって同好会じゃないんだから。
 ソラマメはビリッケツで息を切らしながら思った。
「ソラマメ三曹、またビリか。少しは新入りを見習ったらどうだ?」
 曹長が三つの首で順番こに繰り出す嫌味に耐える。今度は遠慮のない嘲笑が上がった。
 イーブイのアルをちらりと見る。彼は笑っていなかった。
 黒豆みたいな目は、ソラマメを見つめていたけれど。

 ソラマメはちょっとの間だけアルを見つめ返した。そして、すぐに目を逸らした。なんだか恥ずかしかったのだ。
「む。ちょっと失礼」
 連絡係のポッポに耳打ちされて、ドードリオ曹長が中庭から出ていった。いかにも曰くありげな退場に隊の連中がざわめいたけれど、ポニータ二曹が諌めてすぐに静まった。だが、心はすぐには静まりそうになかった。隊の奴らはまだなんとなく落ち着かないでいる。若い二曹がはっと気付いて、訓練の続きを始めたけれど、二曹含め皆が皆上の空で、訓練に身が入っていなかった。まあ、運動音痴のソラマメにはありがたい。ただ一匹、イーブイのアルだけはさっきと同じ調子のようだった。

 炭酸の抜けたサイダーみたいな訓練のメニューをふたつまでこなしたところで、曹長が戻ってきた。
「訓練は中止だ」
 真ん中の首が言った。なんで? と小さな疑念を漏らしたりする者もいたが、その問いは無視された。
「各自、兵舎に戻れ。今後のことは追って連絡する。以上!」
 有無を言わさず、という調子で曹長のいつも怒っている首が言ったが、それだっていつもの怒声に比べれば元気がなかった。何があったのだろう――と皆が訝っているのは明らかだったが、曹長に答える気がないのも明らかだった。

 嫌な風が吹いてるなあ、とソラマメは思った。

「解散」
 ドードリオは三つの首を全部合わせて、いつもの首一本分くらいの号令を発した。それに対する号令も、いつもの三分の一ぐらいに減っていた。
 皆はいよいよ炭酸どころか水まで抜けたサイダーみたいになって、三々五々散っていく。門、また開けてもらわなきゃなんないなあと思いながら、同じく気が抜けたソラマメは中庭から出る扉を探す。

 その尾羽を誰かに踏まれた。
 怒って振り返る。アルだった。
「なあ、兵舎に案内してもらっていい?」
 無邪気な黒豆がクリッと動いて、ソラマメは怒るに怒れなかった。踏まれた尾羽が、さして痛くなかったのもある。
「いいよ」
 アルのスカーフを見ながら、返事をする。ソラマメの視線に気付いたアルは、へへっと笑った。
「これ、大事な物なんだ」
 少し自慢気なアルに、「あ、そう」と気のない返事をして、会話が終わった。

 トコトコ歩いて王城を抜けた。イーブイのアルがいる為、門を開けてもらうのに引け目を感じずに済んで、ソラマメは得をした気分になった。けれどすぐさま自分の問題が解決したわけじゃないと気付いて、また不機嫌になった。
 二人黙りこくったまま、メインストリートを下っていく。
 しかし、こういう時でもイーブイのアルは機嫌が良いというか、連れの機嫌が悪くても気にならないらしく、道沿いの店を興味深げに眺めながら足取り軽く歩いている。

「あ!」とアルが嬉しそうな声を上げる。
「ピジョットのおばさん、こんにちは!」
 そちらを向いたソラマメは、驚きで目ん玉が落っこちるかと思った。
 アルが挨拶したのは、紛れも無い、ソラマメ行きつけの豆屋のピジョットおばさんだったから。

 いいや、アルが悪いってわけじゃない。とソラマメは今朝の問答をまた繰り返した。
 アルは別に法律を侵してるわけじゃないし。
 れっきとした王立陸軍の兵士だし。
そういう権利を持ってここにいるわけだし。

 それでも、ソラマメの胸の中はモヤモヤするのをやめられないのだ。

 アルは笑顔でソラマメを振り向いた。
「ピジョットのおばさん、親切だよね。オレは豆は食べないけど……」
「おやおやまあまあ、ソラマメじゃないの」
 ピジョットのおばさんは羽を大きく広げながらソラマメに駆け寄ってきた。「こんにちは、ピジョットのおばさん」抱擁を避けながら、ソラマメは挨拶をする。しかし、ソラマメの態度には構わず、おばさんは話し続ける。
「最近ねえ、顔を見ないから。元気にしてた? 一人暮らしは栄養が偏るっていうから、おばさん心配でねえ。もう大きい大人なのに心配するっていうのもおかしいけど。兵隊さんの生活にはもう慣れた?」
 ええ、とソラマメは小さな声で答えた。おばさんは「それは良かった」と大袈裟に三回繰り返した。そして、「ちょっと待っててね」と言うと店の奥に姿を消した。

「いい人だよね。オレは豆は食べないけど……」
 アルがもう一度言った。その言葉が全部終わらない内に、ピジョットのおばさんが大量の豆を持って出てきた。器用に、羽で豆の入った巨大なタッパーを支えて。
「はい、ソラマメ」
 その容器がソラマメに渡される。おばさんが羽を離すから、ソラマメは慌てて羽を伸ばして支えたけれど、その途端羽に有り得ない重みが掛かって、容器を地面にぶつけそうになった。
 アルが素早く容器の下に滑り込んで支えてくれたから良いものの。
「お友達と二人分、これはサービスだからね」
「は、はい。ありがとうございます」
 しどろもどろになりながらお礼を言う。これ、どうやって持ち帰ろう。イーブイのアルを覗き込む。

 結局、アルが背負ってソラマメが支えながら兵舎に戻ることになった。
「時々でいいから、顔、見せてね」
 後ろからおばさんの声が追いかけてくる。ソラマメは首を回して会釈するので精一杯だった。

「オレは豆は食べないけど」
 豆屋が見えなくなったところでアルが話の続きを始めた。
「豆を見るのは好きだよ」
 そう、とソラマメは頷いた。

 そう。そうなのだ。ピジョットのおばさんは誰にだって親切なのだ。



 角を曲がって少し行った先に兵舎がある。通称“巣箱”。昔は鳩の寝泊まり以外、何の利便性も考えずに兵舎が作られていたことから、そう皮肉られているらしい。
「今はそうでもないんだろ?」
 黒い目をくりっとさせて尋ねたアルに、相変わらず豆の山を支えながら歩くソラマメが答える。
「今も狭いよ。豆を置くスペースはあるけどさ」
 アルが豆の山の下でクスリと笑う。

 昔に比べれば、これでも広くなったらしい、と聞いた。父親に聞けばもっと色々分かっただろう。
 父親のことを思い出しても、いつもの憂鬱は来なくて、ソラマメはホッとした。
 巣箱が見えてきた。ばかでかい木の箱にしか見えない。



 巣箱でまたひと悶着あるとは、ソラマメもアルも思っていなかった。

 折良く巣箱の近くにいたハトーボーの寮母さんを呼び止めた。普段ちゃんと挨拶していかないソラマメを見て、このさばけた寮母さんは「生きてたんだぁ」と遠慮なく言ってくれた。
「で、どうしたの? 珍しく。あら、友達? 珍しい」
 素直に感嘆する寮母さんに苦笑しつつ、ソラマメは隣の友人を紹介した。
「イーブイのアル。陸軍の。兵舎まで案内してほしいってさ」
「はじめまして」
 重い豆を背負ったままではろくに動けない。アルは豆を地面に置くと、ペコリと頭を下げた。

「へえ、可愛い兵士さんねえ。お部屋はどこ?」
「あの、それは着いたら教えてくれるって言われたんですけど」
 ソラマメは寮母さんの目の中にあやしい光がよぎるのを、見た。アルも何だか合点できなさそうにハトーボーさんを見ている。なんだか雲行きが怪しい、ぞ。

「オレ、新人で今日軍に入ったばっかなんですけど、部屋、ありません?」
「聞いてないわねー。本当にこっちで部屋割りはこっちだって言われたの?」
 ハトーボーさんはそう言うと、不審者でも見るような目でアルを睨んだ。それでソラマメは思い出したが、そういえば、ここは鳩の国だったのだ。大概の鳩は、他の種族に寛容じゃない。ピジョットおばさんは例外なんだ。
「言われましたよ。オレ、ちゃんと確かめたし」
 そこまで言っても、ハトーボーさんの目の中の不審がる光が消えない。アルは半ば諦めたように後ろ足で長い耳を掻き始めた。「じゃあ野宿にしようかな」と呟きながら。

 どうしよう、とソラマメは思った。兵士が兵舎にいないんでは外聞が悪い。他所の国に知れたらまた馬鹿にされること必至だし、その責任が何故かソラマメに降り掛かって最悪辞職なんてことも、あったら困る。
 けれど、いい案がそうそう浮かぶわけでもない。藁にもすがる気持ちでハトーボーさんを見ると、彼女はソラマメの横の方を見て、意味ありげにウインクした。
「部屋も空けられないことはないと思うんだけど」
「本当ですか」とアルが食いつく。ハトーボーさんは中空を見ながら答えた。
「あの人は兵隊さんじゃないし。でも老兵だし、邪険にするのも可哀想よねえ。あのフーディンさん」

 あのジジイ、まだ兵舎にいたのかよ! 早く追い出せよ! と叫びそうになるのをソラマメは堪えた。
「フーディンさん、ってどんな人?」
 アルは首を傾げた。ハトーボーさんは何故か満面の笑みで答えた。
「百戦錬磨の作戦参謀で、かの戦争で共和国の指揮を執ったのが天下ってこっちに来たんですって」
「絶対嘘だよそれ」
 ハトーボーさんは信じているのだろうか。そう疑いそうになるほど幸福そうな表情で、ハトーボーさんは続けた。
「でも今は退役軍人だとかで、兵舎にいなくてもいいんですって。だから」
「じゃあオレがその人に頼みます」
 というアルの台詞を、綺麗な羽を振って遮った。
「私から頼んだ方が良いのよ、こういうことは。でも、あの人、何と言ってもご老人でしょう」
 ハトーボーさんは小首を傾げて、意味ありげにアルの横を見た。つまり、
「ショックは与えないように頼みますね?」
「じゃなくてさ、アル」
 ソラマメは手羽先で軽くアルを叩くと、同じ羽根でアルの横を指した。それを見て、アルはやっと納得したように頷いた。

 ソラマメは咳をひとつして話し出した。
「ところで、ハトーボーさん豆要ります?」
 出来るだけ棒読みで、投げやりになるように言ったが、そんなこと心掛けなくても自然と棒読みで投げやりになった。対するハトーボーさんは大袈裟に喜び、
「まあ!? こんなにたくさん? 嬉しくて舞い上がっちゃいそう!」
 本当に空に舞い上がった。

 そういうリアクションはソラマメに対する嫌味とも思えるのだが、ハトーボーさんは全く考えが至らない様子で、「じゃあフーディンさんに話しておくわね」と豆入りタッパーに両羽を置いた。ソラマメはさっさとその場を立ち去りたかったのだが、アルが律儀に「ありがとうございました。よろしくお願いします。さようなら」まで言うのでずっと待っていた。

「じゃあね。ちゃんと話しておくわ」
 アルがひとっ飛びでソラマメの横に並んで、また足並み揃えて歩き出す。立ち去るソラマメの背に、ハトーボーさんの上機嫌な声が追い付いたが、ソラマメは振り返らなかった。アルは振り返って会釈していた。

「とりあえず」
 巣箱の影に入ってから、ソラマメは言った。
「今日は僕の所に泊まるといいよ」
「でも、狭いんだろ」
 アルの黒豆みたいな目がいたずらっぽく光る。
「君が寝るスペースくらいあるよ」
 そう言うと、アルは笑った。何故だかソラマメも嬉しくなった。

 部屋の入り口を羽で示すと、アルは「本当に巣箱だ」と歓心したように言った。木製の壁に規則正しく並べられた丸い穴。巣箱を並べたような建物、というか事実、そんな風に作っているらしい。
 ソラマメは二階の端の部屋――というか穴に掛かっている縄梯子の所へアルを連れて行った。
「ここが僕の部屋」
 そう言いながら爪と嘴を使って登りだした。登ってから、あがってってよとか、何か気の利いたことを言えば良かったと、ちょっぴり後悔した。

 狭い巣箱の中に戻る。すぐにアルが軽快に登ってきて入り込んだ。部屋の中は相変わらず殺伐としていて、寝床の藁以外ろくな家具も置いていない。けれどアルはそんなこと気にならないのか、「すっきりした部屋だなあ」としきりに感心していた。
 そして、すっきりした部屋にポツンと立っている銀の盾にも、アルは興味を示す。
「銀の豆勲章だよ」
 アルが何か言う前に、ソラマメはボソッと呟いた。

 銀で出来た土台から浮かび上がるように、種々様々な豆が象られている。豆として外せない大豆に小豆が中央。そこから輪を広げるようにレンズ豆ヒヨコ豆エンドウにインゲンなんかが配される。下には地中で実を結ぶ落花生が、上には天に向かってさやを付ける空豆があり、他の豆を囲うように豆独特のちょうちょみたいな花で結ばれている。

 らしいのだが、なにぶん銀一色なのでどれがどのマメかあんまり分からない。



「すごい勲章なの?」
 アルの目が銀の盾を離れ、ソラマメを見る。ソラマメはまた黒豆みたいな目だと思った。
 勲章のことを説明しようとすると、父親のことが頭を過ぎった。
 これを授与された時、確か父は大喜びで帰ってきたはずなのに、どうもその辺りの記憶が曖昧だ。何かを喜んで説明していたけれど、その頃の小さな頭には難しかったのだろうか。その時はまだポッポで、父親はソラマメを両羽で抱き締めた。普段から父はソラマメを抱き締める鳩だった。父親の背に乗って空を飛ぶと、決まってソラマメが寒い寒いと泣くからだった。寒い、お父もう降りて、抱っこがいい――

 ソラマメは無理に笑った。乾いた笑い声にアルの目付きが一瞬変わったけれど、すぐ何事も無かったかのように元の黒豆に戻った。あまり、父さんのことは思い出さないようにしよう、とソラマメは思った。友達の前で、あまり憂鬱に浸っていたくはなかった。
「最高の勲章だよ。今のところ」
 気分を切り替えて明るい声を出す。アルはすぐ目をキラキラさせて、「すごいや!」と本当に嬉しそうに言った。そこに嘘が見当たらなくて、ソラマメは却ってドギマギした。

「すごくないよ。貰ったのは父さんだから」
 誰も貰ってないけど、銀の上に金の豆勲章ってのがあるんだから。
 そう言おうとしたはずなのに、ソラマメの嘴は勝手に別の言葉を紡ぎ出していた。そこに畳みかけるように、アルの言葉が続く。
「じゃあ、ソラマメは金の豆勲章を目指さなきゃな」
 ソラマメは流れのままに、頷いた。そして顔を上げて……まるで天井に頭をぶつけたみたいに、重い衝撃を感じた。

「無理だよ!」
 気付いたら、ソラマメの口から大声が出ていた。夢から覚めたみたいに、妙に頭が冴えていた。ぶつけた頭は何もなくて、でも脳みそだけブルブル震えている気がした。さっき多分、僕の脳みそが現実の壁にぶつかったんだ。でも、自分の大音声で震えている気も、した。

 巣箱の壁は、薄い。後で隣近所から絶対怒られると思いながら、ソラマメは叫び続けた。さっきの白昼夢を打ち壊して、なかったことにしたかった。
「無理だ。父さんでさえ銀だったのが、僕に金なんて。英雄だなんて呼ばれてるけど、それでも銀だったんだ。
 僕には無理だよ。僕は、出来損ないの、飛べもしないピジョンなのに!」
 喉に絡まった最後の言葉を必死で吐き出すと、ソラマメはぐっと空気を飲み込んだ。ビィン、と何か響いているような、響き合ったのが互いに打ち消しているような、まがい物の静寂が巣箱に訪れた。

 アルと目が合う。何にも動じなかったはずのアルの目に、静かな怒りが宿っていた。その後ろには銀の豆勲章があった。まるで、守られるように。
「……何だよ、それ」
 声こそ落ち着いていたが、目は真っ直ぐにソラマメを射抜いた。怒ってるのに泣きそうだった。変な奴だとソラマメは思った。

「どうして諦めてんだよ! お前には立派な羽があるじゃん! オレよりずっと空に近いのに、なんで自分には無理だって思うのさ」
 アルの嘆願のような台詞を、ソラマメは聞き流した。そして、わざと笑う。自分は本当に嫌な奴だと思った。
「アルこそ、空を飛びたいの」
 アルは黙って頷いた。泣きそうに見えるのに、中々涙を流しはしなかった。ソラマメは当たり前のように、言う。
「無理だよ。イーブイに空なんて飛べるもんか」
「飛べるよ! ドードリオだって空を飛べるじゃんか」
「イーブイには無理だよ」
「無理じゃない!」
 返された定型句に、ソラマメはまた「無理だ」と返して泥沼になるんだと思った。でも、それより先にアルが叫んだのだ。

「願わなきゃ、願いは叶わないんだよ!」



 ――お父さん、なんで帰ってこないの?
 願わなきゃ、願ってなきゃ、もしも

「願ったって叶うもんか!」
 奇妙な間が空いて、誰かが叫んだ。それが自分の叫びだということに、ソラマメが気付くのに随分時間がかかった。

 気付いた時はもう遅かった。
 はあ、とため息をついた。アルの言葉はソラマメの触れてほしくない場所に触れた。けれど、アルはソラマメを傷付けようと思って喋ったわけではないのだ。それが分かるのに、ソラマメはアルを許したくなかった。許した方がいいのに、簡単に許すと言えるほど、アルの言葉は軽くなかった。

「明日も早いし、日も沈んじゃうから、寝るね」
 おやすみ、とソラマメは機械のように返事をした。アルは寝床の藁を避けて、部屋の隅で縮こまっている。思い出して巣穴から外を見ると確かに暗くて、すぐにも目が効かなくなると、頭のどこかで理解した。

 カツカツ、とソラマメの爪が木の床に当たって音を立てた。体が前かがみになり、嘴が藁を取る。はみ出た藁を寝床に戻す作業に、ソラマメはいっとき集中した。
 その内作業出来ないほど暗くなったので、ソラマメは足先で探って寝床に潜った。藁の中は暖かいが、父さんの羽毛には敵わない。そんなことを思いながら、ソラマメは無意味な夢を見ようと瞼を下ろした。



「おはよ、ソラマメ」
「……おはよう」
 次の朝、ソラマメとアルはギクシャクしたまま城に向かった。途中、メインストリートに出る一歩手前の所で、アルが立ち止まった。
「ソラマメ」
「ん?」
 ソラマメも立ち止まる。アルを振り返ろうとは思わなかった。
「ごめんな」
 昨日のことか、と思った。アルは謝っている。ここで快く許すのが、大人の対応で、アルは大人なんだろうとソラマメは思った。許せばいい、と分かっているけれど、そう出来るほど、あの言葉は軽くない。そこだけは、ソラマメは子どもでいたかった。だから、
「どうでもいいよ」
 投げた。
 歩き出す。アルの足音が後ろでしていた。

 問題ごと投げて、なかったことにする。どうして自分はこう、卑怯なんだろうと思ったけれど、怒っているから当然の権利だとも思えて、余計に自分が嫌になった。

 それからいつも通り、門を開けてもらい、訓練をして、ドードリオ曹長から叱責を浴びた。いつもの訓練が終わって、いつものように帰ろうとした矢先、曹長に呼び止められた。用向きを尋ねると、黙って付いて来いと言う。
 なんだろう。二等兵にでも転落するのだろうか。長い足で歩いて行く曹長に置いていかれないよう、足を出来るだけ素早く動かした。アルに「用事あるから、帰るよ」と言われたのだが、それも上の空で頷いてしまった。なんだろう。ソラマメがあまりにも役立たずなので、除隊とか。三曹には新人だけど見所があるのでアルがなるとか。なんだろう、悪い可能性しか浮かんでこない。

 急に曹長が立ち止まった。ソラマメはうっかり曹長の長い足にぶつかるところだった。慌てて三歩下がったところで、曹長が振り向く。真ん中の顔が、怒っているような泣いているような変な顔になっていた。
「聞いたか、ソラマメ」
「何をですか?」
 ソラマメの返事に、ドードリオは困った風に「それは」と言い淀んだ。

 と、泣いている首が真ん中の嘴をコツコツ叩き、何か囁いた。真ん中は何事か考え込んでいたが、怒っている首に頭を啄かれて「じゃあ話そう」と口火を切った。

「最近、盗賊が国に入り込んだらしい、という話は聞いたか?」
「いいえ……」
 正確には、聞いていない、というより、泥棒が国に入り込むのは日常茶飯事なので、取り立てて話題になるような話は聞いていない、だった。
 ソラマメの意図は正しく伝わっていないと思うが、それでも問題なく意思疎通が出来ることもある。
「なんでも質の悪い奴らに“王冠”を盗まれたらしいのだ」
 王冠ってあの王冠ですか、と質問しそうになるのを、ソラマメは慌てて取り止めた。王冠、と言われれば、この国ではひとつしか示さない。国王が代々受け継いできた、“聖なる豆”が埋め込まれた純金の冠。
“聖なる豆”の価値はともかく、冠が純金製なので今までも泥棒に狙われてきたらしい。その為、特別な儀式の時以外、厳重なセキュリティーの下で保管されているのだ、と何度も聞いたことがあった。
「それが、盗まれて、それで?」
「我々の中にその盗賊がいると思われているのだ」
 そこまで言うとドードリオ曹長の真ん中が眉間に皺を寄せた。この陸軍は他所から来た者たちの吹き溜まり、他の国にいられなくなった奴らが流れ着く場所みたいなところがあるから、それも仕方ないんじゃないかとソラマメは思う。でも、ドードリオ曹長はそんな当たり前のことで頭を痛めている。けれど、鳩でもないドードリオ曹長が陸軍にそんな思い入れを持っているのは、どこかチグハグなことに思えた。

「ソラマメ三曹。君は我が隊で唯一の鳩だ」
 改めて、三つの首を合わせて放たれた言葉に、ソラマメは「はあ」と気の抜けた返事をする。
「君にミッションを頼みたい」
 ぐい、と全部の頭で一度に迫られて、ソラマメはつい「はい」と答えてしまった。



(って言われてもなあ)
 ドードリオ曹長から解放された後、ソラマメは当てもなく城下をさまよっていた。
 ミッションの内容は、本物の盗賊を捕まえて陸軍の無実を晴らすこと。
 でもどうしろってんだ、とソラマメは心の中で毒づいた。ただの盗賊ならそこら辺にいるだろうし、当たりの盗賊を捕まえてもしらばっくれられて終わりだろう。大体、ソラマメに盗賊を捕まえる技量があるかどうか微妙なところだし、第一本当に陸軍の誰かが盗賊だったらどうすんだよ。

 毒を吐くだけ吐くとソラマメの心は落ち着いた。とりあえず情報収集にかかろうと決めて、その辺りで一番大きい豆屋に向かうことにした。ピジョットおばさんの人脈に頼る手も考えたが、鳩の良いおばさんを、こういうきな臭いことに巻き込みたくなかった。それに、頼りたくなかった。
 砂粒を数えながら、豆屋に向かう道筋を取る。歩くにつれて、鳩の姿が目に見えて多くなる。ポケモンの数は多いというのに、鳩以外の種族は中々見つからなかった。
(陸軍唯一の鳩、か)
 ソラマメは曹長の言葉を反芻した。ソラマメは鳩だから、この国での信頼はある。他の連中は、鳩じゃないというだけで疑われる。曹長も、アルも。

 ソラマメは頭を振ると、豆屋に入っていった。前後ではなく左右に頭を振ったので周りの鳩が驚いたが、もう慣れっこだった。



 結局。
 ソラマメは、ため息を吐き出しながら家路につくこととなった。
 収穫は見事に無し。強いて言えば、大きな豆屋で豆十種詰め合わせを買ったことぐらい。
 素人がちょこっと動いたぐらいじゃ、どうにもならないんだとソラマメは思った。捜査とか治安維持とかも、この国では軍がやる。けれど、そこからソラマメの属する部隊はしっかり弾かれている。そういう任務を与えられるのは、鳩だけだ。

 鳩、鳩、鳩。鳩ばっかだな、この国は。
 鳩の何が偉いのだろう。昔は何となく優れていると思っていた。でも、いざ改まって理由を問われると、弱い。
 それは、ソラマメが弱いからだ。

 思い当たった理由に目を塞いで、ソラマメは巣箱に掛けた縄梯子を一段、一段とゆっくり登っていった。ふとすると嘴が滑って、爪先は段に引っ掛けたまま宙ぶらりんになりそうだった。でも、それに耐えてソラマメは登っていく。それしかやりようがないからだ。

 最後の段に足を掛けて、巣箱の中に転がり込んだ時。ソラマメは目を閉じて、このまま眠ってしまおうと思った。難しい思考なんかなしにして、今は眠ってしまいたかった。



 夜中に目が覚めた。
 どうして目が覚めたのだろう、と寝ぼけた頭で思う。
 辺りは真っ暗で、ソラマメの目では何も見えそうになかった。一応、入り口から月の光が入って来てるみたいだ、とそれに気付くと、目が少しずつ光を感じ始めて、さっきまで真っ暗だったのが嘘のように部屋が明るく見えた。
 部屋の中で、見覚えのある小さい獣が動いていた。
「アル?」
 呼びかけてから、まだ寝ぼけた声だと思った。ソラマメは、まだ半分夢の中にいた。

 アルが耳をピンと伸ばした。月明かりの中で、襟巻きの白は何故か光って見えた。何か探し物でもしてるみたいに、アルはゆっくり首を回した。たっぷりとした襟巻きが、少しずつ捻れて動く。何故光っているのか見ようと、ソラマメは瞬きをする。しかし、瞬きすると目は冴えるよりも眠くなる方になるみたいで、ソラマメはすぐ本格的に目を閉じることにした。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 その言葉が妙に艶かしく聞こえたけれど、夢の中で聞いた所為かもしれなかった。ソラマメは眠りに落ちる直前、襟巻きの白が眩しかったのは、量が多いからだと思った――



 夜明けを告げる鐘がなる。それを聞いて、ソラマメは今日もまた一日が始まったと思った。
「ない!」
 起きるのとほぼ同時にソラマメは叫んだ。部屋の隅で眠っていたアルが飛び起きた。ソラマメはそのままの勢いで、叫び続けてしまった。
「どうしたの?」
「ないんだよ、銀の豆勲章が!」
「えっ?」
 ソラマメは大慌てで部屋を探し回った。しかし、四隅と寝床を探して、もうそれが部屋のどこにもないことが分かってしまった。必死に寝床の藁を掻きむしった。しかし、願っても願っても、銀の豆勲章は藁の中から出てこない。もうこれ以上探す場所なんてないのに。

「どうしよう」
 どうすればいいか分からず、ソラマメはただ呆然とした。あれは父の功績を讃える物で、ソラマメが同じように功績を上げたらというものじゃなくて、国王様に言ったらもうひとつ貰えないかなとかそういうんじゃなくて。
 胸に風穴が空いた感じがした。
「どうしよう」とまたソラマメは呟いた。ある時は邪魔だと思っていた。でもなくなったら、というか、盗まれるなんて思っていなかった。巣箱はセキュリティーどころかプライバシーもない丸い出入り穴ひとつで、それでも家の物を盗まれたりなんてしなかった。泥棒が出没しだしたのは、この国が戦争に負けて、鳩以外を受け入れ始めてから。

 気付くと、藁はボロボロになっていた。床の木材にも爪痕が幾筋も走って、その切り傷の淵を埋めるように木屑と藁の欠片が沈んでいた。あ、銀の豆勲章がない、と思った。昨日の夜のことを思い出した。そして、恐る恐る顔を上げた。
 アルと目が合った。茶色の毛の向こうからでも、彼が青ざめたのが分かった。
 その時、ソラマメがどんな顔をしていたのか分からないけれど。



 銀の豆勲章が盗まれた話は、瞬く間に小隊の皆に知れ渡った。というか、皆同じ巣箱にいるのだから仕方ない。
 同じ隊の連中が怪しい、ということになって、第一小隊の全員が聴取された。取り調べに来た連中も例によって鳩、鳩、鳩だった。
 他の奴らのことは知らないけれど、大体が不愉快な思いをしたようだった。ヘルガーはいつまでもブツクサ言っていたし、ポニータ二曹はぐったりと廊下に座り込んでいた。タテトプスはかなりややこしい事情があって陸軍に流れ着いたらしいが、そのことで無茶苦茶言われたらしい。無論、鳩であるはずのソラマメも無傷では済まず、「質に入れたのを誤魔化してるんだろう」とまで言われた。

 タテトプスの隣で、ガーディだけは何故か元気で、余っているらしい正義感を振りかざしてバウバウ吠えていた。
「っていうか有り得ないっすよね、鳩の奴ら! こんな可愛い女の子を苛めといて、ごめんなさいのひとつも言えないんすよ。おれが電気タイプならさくっとやっつけるのに」
「うるさいぞ」
 そのガーディをたしなめたのは、一昨日豆屋にいたレントラーだった。最年長らしい彼も、多分嫌がらせを受けたのだろうが、それを感じさせない落ち着きぶりだった。ポニータ二曹が申し訳なさそうにレントラーを見る。曹長が呼び出しを食らっていない今、自分がたしなめるべきなのを済まなく思っているのだろう。と、レントラーの顔がソラマメの方に向いた。

 なんだろう、とソラマメは身構えたが、レントラーは何も喋らなかった。ちょうどその時、聴取を終えたアルが部屋から出てきたからだ。
 アル、と呼びかけることは出来なかった。アルもソラマメに話しかけようとはしなかった。
 アルの姿が廊下の角を曲がって消えた。
 それからソラマメの帰宅許可が下り、ソラマメはひとりでトボトボと巣箱に帰った。もう、砂粒を数える気にもならなかった。



 ピジョットのおばさんには会わなかった。ソラマメが彼女の挨拶に気付かなかったのかもしれないけれど、もうそれで良いと思った。
 相変わらず四角で、洒落っ気のない巣箱を眺めて、自分は帰ってきたんだな、と思った。隊の誰ひとり、曹長でさえ帰宅を許されなかったのに。アルなんて身柄を拘束されたのに。ソラマメだけがここに帰ってきた。鳩か、鳩じゃないか、それだけの違いで。

(でも、アルのことは僕の所為だ)
 縄梯子の一段目に足を掛けたまま、ソラマメは思った。もしも、自分が相手の中傷に平気でいられたら。もしも、自分が「イーブイを見たような気がする」なんて言わなければ。あんなの、夢かどうかさえはっきりしなかったのに。

 ああもう、とソラマメは頭を左右に振った。それで驚く人は近くにいなかった。それでふと思い付いて、そういえばフーディンの爺さんどうしたんだろうと思った。豆を賄賂にして追い出してくれるよう頼んだはずだった。もう追い出して住む人もいないけれど、一応様子を見るだけと称して、ソラマメは自称参謀フーディンの家の中を覗き込んだ。本当は何かやって気を紛らわしたいだけだと、自分で分かっていたけれど。



 中にはポケモンが三匹いた。
「そうじゃなくて、あのイーブイが何故捕まったか分からない以上、品物はここに置いていくべきだと」
「全部持ってっちまえふはははは」
「そうよ。もうこの国はおさらばするんだから固いこと」
 会話は実に変なところで止まった。丸い穴から中を覗いたソラマメに、三匹は時間差で気付いた。同時に気付かれたらとりあえず逃げるところを、順番こだったので逃げるタイミングを失ってしまった。

「食らえ、エアスラッシュ!」
「ばかっ」
 三匹の内の、見慣れたハトーボー――明らかに寮母さんが最初に動いた。見境なしに放たれた風の刃が、遠慮なくソラマメに当たって弾き飛ばした。

 ソラマメの体がありがたくないことに宙を飛んで、地面にぶつかる。仰向けに転がって何とか羽をばたつかせて起き上がる。巣箱から、自称参謀フーディンが出てきた。
 ぐにゃ、とフーディンの手のスプーンが、蝋みたいに変形した。
(来るか?)
 ソラマメは両羽で顔を覆った。こういうのがエスパー技相手にどのくらい意味があるのかは分からないが、何故かソラマメの後方で爆発音がした。

「間違えた。シャドーボールやっちまったわい」
「何やってんのよボケジジイ!」
 その後ろからハトーボーが、目を血走らせながら出てきた。理由は分からないが、火を吹きそうな勢いで怒っている。
「だからっ! さっさと逃げようって言ったのに! 『品物ちょっと置いてあの新参イーブイに罪着せよう』、なんてややこしいこと言うから!」
「わしじゃないよー」
 フーディンは変形したスプーンの先を指先でしきりにつついた。まるで駄々をこねる子どもみたいに、ソラマメには見えた。フーディンの癖に知性が感じられないし。特に目付き。

 フーディンとは逆に、今にも生物を射殺せそうな目付きでハトーボーが言った。
「もー、銀の豆勲章盗った時点で逃げたらいいじゃないの! 何よ安全弁って! そんなことするから逃げるのが遅くなったんじゃない!」
 便利な犯人だとソラマメは思った。黙っているだけなのにどんどん自白してくれる。
「もう、いっそのことこいつを犯人代わりにして」
「それは良くない」
 艶かしい、よく通る声がした、と思ったら、ソラマメの体が地面を擦りながら南に移動していた。かなり痛い。

 また仰向けに倒れたソラマメの上に、幼い、女の子の顔が出現した。茶色の体、長い耳、白いたっぷりとした襟巻き。今ではソラマメにも見慣れた種族、イーブイだ。
 けれど、アルじゃない。
「今はこの国も周囲と国交を結んでいる。国外に逃げても手配されるわ。適当なハズレを掴ませる方が効率が良い」
 ハトーボーの方を見て、言う。そしてフフ、と笑った。
「私はふたりに脅されて協力していただけ。あなたに技をぶつけたけど、それは不本意。ね」
 顔に似合わない成熟した声に、もっと聞きたいと思ってしまうようなイントネーションが組み合わさっていた。妖艶なイーブイは、ソラマメの耳の位置に口を近付けた。ソラマメは為されるがままで、ただ、イーブイに吐き出される言葉を待っていた。

 がしかし。
「あーっ、アム! アムじゃんかあ!」
 場にそぐわない、気の抜けた声が響いた。アム、と呼ばれたイーブイはパッと顔を上げ、そして顔を上げたのと同じくらいの勢いでソラマメの上から飛び退いた。反動でソラマメは「ぐえっ」となった。
 咽せながら立ち上がったソラマメの視界に、見覚えのあるスカーフを巻いたイーブイが飛び込んできた。イーブイのアルと対峙するように、スカーフなしのイーブイが構える。アルの方は、そんな彼女の態度などお構いなく、
「アム、こんなとこで何してんの?」
 そう述べた。

「あなたね、私を愛称で呼ぶの、やめてくれる?」
「アムネジア、こんなとこで何してんの?」
 その返答は明らかにアムネジアというイーブイの機嫌を損ねた。しかし、アルはそれは気にせず、今度は打って変わって心配の詰まった口調で、話しかけた。
「あのさ、オレもショコランも気にしてるからさ。リタのことも」
「うるさい!」
 アムネジアは艶やかさをかなぐり捨てた、乱暴な口調でそう言うと、口元に暗いエネルギーを溜め始めた。
 げ、シャドーボール、と思ったが別にダメージはないから大丈夫じゃん、とそこまでは考えが至ったのだが、あと一歩足りなかった。

 うぎゃー、と可愛くも何ともない悲鳴が上がる。フーディンジジイのだろう。確かにソラマメにダメージはなかったが、シャドーボールが地面に当たって砂を巻き上げ、辺りは砂の霧で覆われたかのようになった。ソラマメは両翼で顔を覆って砂で出来たスコールに耐えた。
「私は姿を消すわ。探したってムダよ」
 落ち着きと妖艶さと、不可思議なイントネーションを取り戻した声が砂埃の向こうから聞こえてきた。おそらく、アルに言っているのだろう。
 砂が翼に当たる感覚がなくなってから、ソラマメは目を開いた。少しの砂埃は無視して起き上がる。
「くそっ」
 ソラマメは舌打ちした。やはりと言うか、アムネジアは姿を消していた。盗賊のひとりをまんまと逃がしてしまったのは、腹が立つ。

 でも、まだいる。

「きいーっ! もうこうなったら逃げるわよ! ジジイ、ほら、テレポート!」
「初期位置をここに設定したので使えませーん」
「もーっ、役立たず!」
 単なるヒステリーババアと化したハトーボーは、フーディンの両肩のがっしりした部分を掴むと、羽を強烈に羽ばたかせて空に舞い上がった。
「ふ、ふーんだ。空を飛んで逃げたらアンタ、追ってこれないでしょ。それに」
 フーディンがどこに持っていたのか、手妻のように銀の豆勲章を取り出した。
「こんなの、あんたが持ってたって宝の持ち腐れなんだから!」
 じゃあね! と吐き捨ててハトーボーは向きを変えた。
 離れていくふたりに、ソラマメは「待て」という陳腐な台詞しか吐けない。ソラマメは飛べない。追いつけやしない。
 父さんが唯一残したものが、遠ざかってしまう。ソラマメが飛べない所為で。ソラマメが銀豆の御曹司に相応しくないピジョンだから、遠くなってしまう。

 ソラマメは諦めるしかなかった。

「何やってんだよ! 行くよ!」

 アルの声がした。
 彼の空色のスカーフが風になびいて、その下から白い毛が覗いていて、ソラマメははっとした。もしかして、夜にみたのはアムネジア――という言葉はアルの声にかき消された。
「立てよ、ソラマメ! 早くしないとあいつら逃げちゃうぞ」
「でも」
 ソラマメは飛べない。追いつけない。
「でもじゃないよ、こっち!」
 アルに一喝され、彼に導かれるまま、ソラマメは近くの広場に出た。兵舎の近くにそんな場所があるなんて、ソラマメも知らなかったが、今はそんなことより広場の端、面倒くさそうに石を積んで境界を区切ってある辺りに目がいった。

 真っ赤な布に、布を広げるように支える、軽そうな棒。布の広がり方は、さながら翼を広げた鳥のよう。

「グライダー……?」
「そうさ、グライダーさ」
 呆然とするソラマメを他所に、アルはちゃっちゃと自分の体をグライダーの上側の棒に括りつけた。ソラマメもアルに急かされて、ベルトらしき物を体に結び、下側の棒を足で掴んだ。
「飛ぶよ!」
 アルの合図はそれだけで、間髪入れず彼は後ろに向かって何かの技を飛ばした。爆発音を置土産に、グライダーは斜め三十度の高さに発射された。風が顔を激しく叩いた。気付いたらソラマメは棒を両足でしっかり握り締めていた。

「これ、知人に手伝ってもらって作ったやつ。イーブイでも飛べるだろちょっとセコイけど!」
 アルはまた「加速する!」とだけ合図して、何かの技を後方に放った。ソラマメは首を回して見る。光る弾が高速で後ろへ流れて行くのが見えた。スピードスターだ。

 真っ赤なグライダーはグングン加速して、盗賊コンビに並んだ。そこでもアルは優しいのか、
「観念してよ! とにかく勲章を返して欲しいんだ」と犯人に呼びかける。
 それが徒になった。

 フーディンがスプーンの一方をこちらに向ける。と思う間もなく、グライダーは大きく傾いた。どうにか体勢を戻せないかと考える隙も与えられず、第二撃を受けてグライダーは虚しく落下した。
 グライダーの赤い羽がぐるりと回り、その先が狙い打ったように木の枝に刺さった。反対側の羽も良く繁った木の枝に受け止められ、木が折れそうだが何とか、というところでアルとソラマメの体を受け止めきった。グライダーとソラマメの間に挟まれたアルはかなり痛そうではあった。
 うまいことグライダーがクッションになってくれたから良いものの、そうでなかったらふたりとも大怪我するところだった。グライダーが大怪我だが。
「これじゃ、飛べない」
 ほとんど落ちるように着地してから、ソラマメはグライダーを見上げて言った。赤い翼には大穴が開き、そこを支点にして木の枝にぶら下がっているようだった。

「でも、行かなきゃ」
 ソラマメの隣にストンと着地したアルは、素早く周囲を確認した。ハトーボーとフーディンを見つけると、そちらを見たまま木を伝って手近な二階建ての上に飛んだ。
 そして、銀色を帯びた光の帯を盗賊に撃ち出す。帯は蛇のようにうねりながら盗賊に近付いて、パッと散開した。銀の五芒星。

 アルが撃ち出した星はそれぞれが銀砂を撒きながら、ハトーボーたちを包囲するように動いて連続で敵にぶつかっていった。しかし、良く見ると半分以上が壁のようなもので打ち消されていた。
「こっからじゃ遠すぎる」
 アルは二階建ての上からソラマメ目がけて、ジャンプした。
「やっぱりもっと近付かないと。ソラマメ」
 彼の目が黒豆みたいだ、と思ったのはいつのことだろう。アルの目はソラマメを確と見据えて、決意していた。それはもう黒豆みたいな可愛らしい目ではなくて、落ち着いていて、けれど猛々しい目だった。
 アルが何を望んでいるかは分かっている。

「でも、無理だよ」
 ソラマメは答えた。アルが求める答えじゃない。なのにアルは、にっこり笑って、ウインクまでしてみせた。
「無理かもしんないけど、少なくともオレよりは空に近い。だろ?」
 言い終えるとすぐ、アルはチラリとグライダーに目を走らせた。名残惜しそうに見えた。が、再度盗賊の位置を確認すると、アルは四本の足をバネにして飛び上がった。木に乗り、枝をしならせて隣の建物に飛んだ。そこから隣接する建物へと飛んでいく。アルはあっという間に見えなくなった。

 アルがいなくなると、ソラマメはひとりになった。
 空を飛べという者もいない。空を飛びたいという者もいない。極めて静かだった。そしてこのまま、ソラマメは父の遺品を失う。アルは落ち込み、しかしそれでも巣箱での日常は変わらない。思い出がちょっと失くなるだけだ。

「ああもう、くそっ」
 ソラマメは格好悪くバタバタと走り出した。アルが辿った建物を確認しながら進む。
 後ろでグライダーが木から落ちたような音がしたが、ソラマメは振り返らなかった。

 羽を動かす。出来るだけ、速く、強く。地面を蹴って飛び出す。まだ駄目だ。また走る。

 どうしようもなく懐かしい感覚が、ソラマメの中に蘇ってきた。羽を動かす。もっと速く。これは明日大胸筋が筋肉痛だと思いながらも、羽ばたく。

 風が吹いた。思わず、ソラマメは風に乗っていた。

 ひゅう、と歓声が口から漏れた。羽の向きを変えると面白いように進んだ。下を見る。高度が足りないな、と感じて、手頃な上昇気流に乗る。カメラで倍率を変えた時のように、町がくいっと小さくなった。
 そして、少し寒いな、と思った。けれど、震えるほどじゃない。昔々、寒いからと父親に抱っこをねだっていたちびポッポは、もういないのだ。

 もう自分の羽で飛べる。自分の身も守れる。

 ソラマメは体の向きを変え、勢いを付けて滑空する。目指すは、空色のスカーフをしたイーブイ。
 敵は背の低い建物が多いエリアに逃げ込んだようだった。アルの攻撃は全く届いていない。しかし、相手の攻撃は届くのだから、アルの側が絶対的に不利だ。このままでは。
「アル!」
 ソラマメの呼びかけに、アルが振り向く。ぱあっと顔が明るくなった。
「飛べたじゃん! やったな!」
「早く乗りなよ」
 さっきまで勲章を取り戻すのに躍起になっていたのはどこへやら、アルはもう既に大喜びしている。
「いいの? いいの、やったあ!」
「あれ、取り返すから」
 そう言って、アルを背に乗せて飛び立つ直前に、アルの嬉しそうな顔がまた見えた気がする。さっきのように羽ばたく。けれど、有人飛行は勝手が違う。いくら羽ばたいてもスピードが出ないし、上にも行けない。

 合流して却って失速した彼らに、上から容赦なしのエアスラッシュが降り注いだ。
「もうこんぐらいでいっかあ」
 ハトーボーの、すっかり枯れた声がする。ずっと叫んでいたのか。対するフーディンは「肩が痛いよー」と繰り返している。
 ハトーボーは枯れた声で怒鳴った。
「もう、いいでしょ肩ぐらい! それより銀よ! 換金するのよ!」

 ソラマメの堪忍袋の緒が切れる音がした。
 音と同時に、鍛えた足で屋根を蹴りつけて、ソラマメは一気に上昇した。あっという間に距離を詰められて間抜け面を晒している二人組に、ソラマメは引導を渡す。
「僕の思い出、勝手に売り飛ばすなよ! 食らえ、暴風!」
「じゃ、オレもとっておきの技出すよ」
 ソラマメの羽ばたきひとつで生まれた荒れ狂う竜巻に、ハトーボーはあっさり飲み込まれた。サイコパワーを駆使して暴風の渦から逃げたフーディンに、アルが痛恨の一撃を食らわして銀の盾もあっさり奪還する。そのままだと落下するアルの下に上手く滑り込んで、ソラマメはアルを受け止めた。
「ありがと!」
 アルの言葉に、思わずソラマメは「こちらこそ」と答えた。

 別地点に墜落したハトーボーとフーディンを集め、軍に連絡して散々待たされた後、盗賊たちは御用となった。
 逮捕の手続きに付き合っている間にどっぷりと日が暮れるだけならまだしも、その日中に手続きが終わらず、次の日に持ち越しとなってしまった。でも、大事な物は戻って来たからいいか、とアルとふたりで笑いあった。陸軍第一小隊の容疑もとりあえず晴れたので全員無罪放免、明日から訓練なのは大変だけど、でも、前ほど憂鬱には感じなかった。

 その日は駐在所に泊まった。いつもの巣箱から夜明けを告げる鐘とは逆向きに進んだ所だったが、そこでも鐘の音はよく聞こえた。
 こんなにいい音だったんだな、とソラマメは思った。前は、暗い重低音だと思っていたのに。アルにそう言うと、「そりゃ、いいことがあったからさ」と黒豆みたいな目で言った。

「そういえばさ」
「ん?」
 ふたり、駐在所を出て太陽を仰いだ。いつもと違う角度から見る朝日が、城を照らし始めていた。
「どうして銀の豆勲章を取り戻すのにこだわったんだい? 言っちゃなんだけど、君とは関係ない、よね?」
 失礼とも取れるソラマメの問いに、アルは鷹揚に笑って答えた。そう、こいつはそういう奴なんだ。
「だって、友達だろ」

 夜明けを告げる鐘が鳴る。ソラマメの隣には、誇らしげに空色のスカーフを巻いたアルがいる。
 朝焼けの中で、ばかでかい鳩が翼を広げる。ソラマメも翼を広げる。今日もまた、新しい一日が始まる。
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