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ある春の日の旅立ち
『ひとと けっこんした ポケモンがいた
 ポケモンと けっこんした ひとがいた』

 それが本当かどうかはさておき、ある町に少し変わった家族が住んでいた。



「もう、お父さん! 道端の花の蜜を吸うのはやめて下さいな、はしたない」
「お母さん、外で『お父さん』って言うのやめてよ……」

 春が訪れた道を、仲の良い親子が歩いている。
 母親はアゲハントを連れ、息子はケムッソを抱いていた。
 先程、アゲハントが道端に咲いているツツジの花にストローのような長い口を突っ込んだ。それを、女性が注意したのである。

「何を恥ずかしがっているの、翔太郎。お父さんはあなたのお父さんでしょう」
「だって……」
『そうだぞ、翔太郎。お母さんはちゃんとお母さんと呼ぶじゃないか。お父さんだけ仲間外れなんて失礼だぞ』

 アゲハントが男の子に怒る。しかし、ツブラな瞳をキラキラさせながら羽をぶわっさぶわっさと羽ばたかせて言うものだから、威厳がない。

「もう、お父さんも。手当たり次第咲いてる花に口をつけるなんて、行儀の悪い。繭子の教育によくないわ」
 威厳のないアゲハント父さんは、母さんに怒られてシュンとしている。
 少年はケムッソを抱えたまま、笑いをかみ殺した。抱えられたケムッソも、体を震わせて笑った。

「翔太郎、何を繭子と、そんなに楽しそうに笑ってるの? お母さんもまぜてちょうだいな」
「ヒミツ、ヒミツ」
 そう言って翔太郎は、ケムッソの繭子を抱えたまま、両親の前を走り出した。


 ある春の日のこと。


 家族は家でお昼ご飯を食べていた。
 翔太郎と母は炒飯、繭子は翔太郎が作ったポケモンフーズ、父はカイスジュースである。
 翔太郎はしきりにケムッソに話しかけている。自分の作ったポケモンフーズが美味しいかどうか、気になるのだ。
 ケムッソもそれに応えるように、しきりに体を上下に振っていた。

「繭子のご飯を作るのがすっかり上手になったわね」
 母親は、喜びを隠さず、そう言って翔太郎を褒めた。
『翔太郎も、もうすぐ十二才だものな』
 父親も、満足そうにうなずいた。十一才で大人の仲間入り、十二才ともなれば、一人前の大人なのだ。

 翔太郎は妹の背中をなでている。母親は、父親の言葉に少し顔をくもらせていた。

「ごちそうさま、行ってきます」
 翔太郎少年は席を立つと、自分の器と繭子の器をさっさと流し台へ持って行き、繭子を抱え上げた。
 そのまま家を出ようとする少年を、母親が呼び止めた。
「待ちなさい、翔太郎。また繭子にバトルさせるの? 自分の妹でしょう。ケガしたらどうするの」
 兄妹は顔を見合わせ、ちょっくら黙った。けれどすぐに妹がふくれて、兄が口をとがらせた。
「だってお母さん、繭子もバトル大好きだもん。ケガなんてへっちゃらだし、なあ繭子、お前だって早く、強くなりたいもんな?」
 翔太郎の腕の中で、繭子はいくつもある足をパタパタさせた。

『そうだよ、そうだよ! 繭子も早く進化して、お父さんみたいなかっこいいアゲハントになりたい!』
「だってさ」
 少年はケムッソに笑いかけると、外へ飛び出していった。

「全く、翔太郎ったら」
 母親がぶつぶつ文句を言うと、
『いいじゃないか。バトル好きなのは元気な証だ』
 アゲハント父さんは、カイスジュースをすすりながら、そう答えた。



 よく知った景色の中に、翔太郎はよく知った背中を見つけた。声をかけると、よく知った背中は振り返って、瓶底眼鏡に丸い顔で、にやっと笑った。
「よう、テツ。今日もバトルしようぜ」
「おう。しよう、しよう」
 テツ、と呼ばれた少年は快諾して、すぐさま腰のボールを手にとった。

 ヒメグマと、ケムッソの繭子のバトルが始まった。どちらも同じくらいの強さで、相手にとって不足はない。小さな繭子は毒針を飛ばしたり、糸をはいたり、一生懸命に戦っている。対するヒメグマも、小さな体で鋭い爪を振り回していた。

「なあ、テツ」
 不意に翔太郎が、テツに話しかけた。
「なんだ?」
 テツはヒメグマへの指示もそこそこに、顔を上げて真っ直ぐ翔太郎を見た。
「お前、やっぱり旅には出ないのか」
「出ないよ。進学する」
「そっか」
 ヒメグマの爪が繭子に当たった。とっても痛そうだ。
「お前は? やっぱり気持ちは変わらないの?」
「ああ」
 翔太郎は、繭子への次の指示を考えながら、大きくうなずいた。
 実のところ、それを聞いてほしくて、テツに話を振ったのだ。
「俺、繭子と旅に出るんだ。繭子と一緒に旅をして、強くなるんだよ」

 翔太郎が十一才になっても旅に出なかった訳は、それだった。彼は、どうしても年子の妹と一緒に旅に出たかった。妹も十一才になれば、渋々だって、親に旅に出ることを認めてもらえるのだ。
 だから少年は一年待った。もう一人、町に残ったテツとバトルをしながら、繭子の喜ぶレシピを考え続けて。
 その日がもうすぐやって来る。

「繭子、体当たりだ!」
 小さなケムッソがヒメグマを吹き飛ばした。「ああっ!」とテツが悔しそうな声を上げる。
 にっこり、笑った繭子が兄を振り返った瞬間、その体から光がほとばしった。
「進化だ!」
 翔太郎が、テツが、今までバトルを横目に見ていた通行人たちが、次々に感嘆の声を上げた。繭子の体からきめ細やかな糸が光を放ちながら宙に舞って、彼女の体を柔らかく包み込んだ。

 光がおさまり、新たな繭子が姿を現した。まん丸繭にぱちくりお目目、可愛らしいその姿は――

『お兄ちゃん、お兄ちゃん、繭子、進化したよ! これでお父さんに一歩近づけたかなあ?』

 何も知らずにはしゃぐ繭子を抱きかかえ、通行人たちが余計なことを言う前に、翔太郎は一目散に家に走って帰ったのだった。



 ドアをノックすると、『放っといて』という声がした。
 少年が両腕をぶら下げてドアの前につっ立っていると、部屋の中からむせび泣く声が聞こえてきた。
 バトルに勝利し、進化を喜んだのが何百年も前のことのようだった。家に帰り、鏡を見てしまった妹は、『部屋に入れて』と言ったっきり、ずっとあんな調子なのだ。

『まあ、運が悪かったんだな』
 と父親は言った。
『お父さんの姉も妹も伯母さんも母さんもそのまた母さんも、みんなドクケイルだった。まあそういう星の下に生まれたんだよ。仕方ないさ』
 母親は、父親みたいに割り切って考えることはできないようだった。
「私があの子を人間の女の子として生んでいたら」
 そんなことを口走っては、
「いや、でも、繭子は繭子なのだし」
 そう言って落ち込んでいた。

 少年は台所に入ると、繭子が大好きな野菜たっぷりのポケモンフーズと、一口で三日間舌が変になるような、飛びっ切り苦いポフィンを作った。それから自分の部屋に入って、本棚の一番手に取りやすいところに置いてある、『むしタイプポケモン図鑑』を取り出した。
 少年は付箋に指を当てて、そのページを開いた。『カラサリス・アゲハント』と大きく題してあるそのページを、強く手で握って、図鑑から引きちぎった。そうしてそのページを惜しげもなくゴミ箱に捨ててしまうと、少年は別のページを開いた。
 少年は、今まで見向きもしなかったそのページを優しく撫でると、今度はカッターナイフで、下敷きを定規にして、きれいに図鑑から切り取った。少年は切り取ったページを、折らないよう、傷つけないよう、そっと半透明で無地のクリアファイルに挟んだ。
 そこで母親の叫び声に気付き、少年は部屋を飛び出した。

 母親は妹の部屋の前に立ちすくんで、真っ青になっていた。
「どうしたの、母さん?」
「繭子が、繭子がいないの!」
 母親は、声も体も震わしながらそう言った。
「あの子はマユルドなのに! 自分で動けるはずないのに!」
 父親が飛んできて、震え続ける母親の肩に止まった。
『いや、サナギの時だってちょっくら動けるよ。俺もカラサリスの時はやんちゃしたしなあ。散歩するって言って冒険したり。
 あ、でも、あんまり動くと体に悪いかな。なあ、翔太郎。ちょっと心配だから繭子を探してきてくれないか』
 父はできるだけ明るくそう言って、慰めるように短い手で母の頬を叩いていた。

 翔太郎はうなずくと、自分の部屋からクリアファイルとキズぐすり、台所から苦い苦いポフィンと、きのみを五つ持ち出して、赤くなった外の世界へ駆け出していった。



 繭子は案外近くにいた。マユルドの体では遠くには行けなかったのだろう。家の隣の空き地にいた。
 問題は、浦島太郎のカメールよろしく、三人の子供にいじめられていたことだ。

 翔太郎は腹に力を込めて、「お前ら!」と怒鳴った。
 悪ガキ三人は突然の怒声にちょっと呆けていたが、怒鳴ったのが翔太郎だと分かると、すぐにずるそうな笑みを浮かべた。
「お前の母ちゃん変な人、お前の父ちゃんアゲハント、お前の妹マーユルド」
 三人そろって手で拍子をとって、歌い始めた。

 翔太郎は体が熱くなるのを感じた。すぐに飛びかかって、悪ガキどもを殴り倒してやろうとした。
 けれど、やめた。
 ポケモンをもらってもいない青二才の子供に、十二になる翔太郎が殴り合いで負けるわけがない。それでも、腕力にうったえなかったのは、向こうで繭子が泣いているからだった。

 翔太郎はクリアファイルとキズぐすりとポフィンを地面に置くと、少年たちを見据えて言った。
「お前ら」
 さっきと違い、静かだけれど厳しい声だった。

 青二才の少年たちは、その声の迫力に半歩引いたが、口だけは達者なのか、
「なんだよう、半分ポケモンのくせしてさ」
 ビビって回りきらない舌で、そう言った。
 一人がそう言うと、あとの二人も続いて、
「そうだよ、あの家はおかしい、っていつも言ってるもん」
「お前のお母さんは頭おかしいって言ってたもん」
「ポケモンが父親だなんて、気の狂った家だって」
「お前もおかしいんだよ」
「変態、変態」
「口から糸をはくのかよ」
 少年たちの悪口が、ピタリと止んだ。
 翔太郎は何も言い返さなかった。しかし、泣いてもいなかった。ただ、胸の中が熱くなるのをやり過ごしていた。

 翔太郎が少年たちを見た。
「……なんだよう、口から糸でもはくのかよ」
 口の減らない少年が、そう言った。

 翔太郎は鼻で笑うと、こう答えた。
「俺は残念ながら、糸なんてはけないよ。俺の自慢の妹と違って、糸もはけないし毒針も飛ばせないし、テツのヒメグマ相手に戦ったって泣いて逃げるさ。
 でもさ、俺の妹はやっつけちまうんだよ。ヒメグマだってコラッタだってマダツボミだってさ。
 俺の妹は、俺よかずっと強いんだ」
 そこまで言うと、翔太郎は息を吸って気を落ち着けた。そして、また喋り始めた。
「お前らさ、俺の家族バカにするけど、俺の家族のことなんにも知らないだろ。
 俺の父さんはすごいんだぜ。普段はジュースばっか飲んでっけどさ。
 銀色の風なんか町でやったら、町中のガラスが割れて苦情が出るくらい、すごいんだぜ。裏山のエアームドを、小手先の技でやっつけちまうんだ。強いんだぜ、俺の父さんも」
 翔太郎は深呼吸して、話を続けた。
「俺の母さんだって、自慢の母さんだ。俺の知らないレシピをいくつも知ってる。きのみの種類も特徴も全部覚えてて、どんなポケモンの毛づやも最高になるポフィンを作れるんだ、母さんは」

 翔太郎はそこで息切れした。
 息を整えて、前を向くと、自然と笑みがこぼれた。

「……なんだよう」
 悪ガキ三人は気圧されたように翔太郎をにらんでいたが、そのうちの一人が飛びかってきた。
「どっちにしろ、変な家族なんだろ!」
 それを皮切りに、あとの二人も翔太郎に飛びかかってきた。

「どっちにしろ、最高の家族なんだよ」

 翔太郎は手の中で転がしていたきのみのうちの一つを、お手玉でも始めるみたいに宙に投げた。そうして残ったきのみの二つはポケットに入れ、片方は右手、片方は左手に持って、右手に持った方を悪ガキの一人に投げつけた。
「あいてっ」
「それ、カゴの実な。すんげー硬いやつ」
 宙から帰ってきたきのみをキャッチして、それも悪ガキに投げつける。「うぶっ」と間抜けな声がした。
「残念。ウブの実じゃなくてナナシの実だ。それも硬いやつな」
 残る一人に、左手に持っていたきのみをぶつけた。
 今度は痛いとは言わなかったが、甘い汁まみれになった。
「……で、モモンの実。さっさと風呂入れよ」

 悪ガキ三人は、泣きながら逃げていった。
 翔太郎は「やりすぎたかな」と言って笑いながら、地面に置いていた荷物と、ナナシの実とカゴの実を拾って繭子に近づいた。
 繭子は少しケガをしていた。翔太郎は妹にキズぐすりをスプレーしてやってから、「これ、いらなかったな」と笑いながらポケットの中のきのみを取り出した。クラボの実と、チーゴの実。
「考えたら、特性が脱皮になったんだよな。状態異常の心配する必要なかったんだ」
 そう言いながら、翔太郎はきのみを全部ポケットに入れた。
 その横で、ずっと繭子は泣いていた。

「いいんだよ、繭子」
 そっと目の前にポフィンを転がす。
 いつもは脇目もふらずに行儀悪くがっついて、母親に怒られるくらいなのに、今の繭子は見向きもしなかった。

 翔太郎はポフィンを引っ込めると、クリアファイルをそっと持ち上げた。中身が繭子の目に見えるように、クリアファイルをかざす。
「俺は、ドクケイルでもアゲハントでも。
 繭子が繭子なら、いいんだよ。
 一緒に目指そう。最強のドクケイルをさ。俺、そのためなら何だってするから」

 小さなマユルドは、今度はしゃくり上げ始めた。翔太郎はその小さな繭を、中身をいたわるように優しくなでていた。

『…………がいい』
「ん?」
 聞き取れなくて妹の目をのぞきこんだ兄を、涙の残る目で真っ直ぐ見つめて、妹は自分の願いを伝えた。
 兄は、ゆっくりとうなずいた。




 次の朝、少年は町の出口にいた。
 昨日の夜、急に両親に繭子との旅立ちを許可されたのだ。
 どうしたのだろうと少年は戸惑ったが、いざ朝が来ると、旅への期待で胸が膨れて、それどころではなくなってしまっていた。

「じゃあ、行ってらっしゃい」
 母親は爽やかなくらいの笑顔で言った。
 母親は、少年に持てるだけのきのみと、まだ少年に教えていないレシピを渡した。
「気をつけてね。いつでも帰ってきていいのよ」
「はい、お母さん」
 母親は、ちょっぴり寂しそうだった。

『気をつけて、行ってくるんだぞ』
 父親は、大きな目から涙をボタボタ垂らしながら言った。
 父親にもらった銀の粉は、今はまだ少年のリュックサックに括りつけられている。
『あんまり繭子にムリさせるんじゃないぞ。お母さんはああ言うが、男児たるもの、そうホイホイと家に帰ってきてはならん。帰ってくるなら繭子が進化したときとか、新しい技を覚えたときとか……』
 それ以上は、涙で言葉にならなかった。
「分かってるよ、お父さん」
 少年はできるだけ気遣って言ったのだが、胸に抱えたマユルドがしきりに笑うものだから、つい油断して笑ってしまった。

「じゃあな、テツ」
 少年は、町に残る親友に声をかけた。
「正直、寂しいな。今度会ったら、またバトルしような」
「ああ」
 二人は拳を軽く合わせた。瓶底眼鏡の向こうの目が潤んでいた。

「じゃあ」

 少年は三人の顔を見た。

「今まで、ありがとう。行ってきます!」

 そう言って翔太郎は、マユルドの繭子を抱えたまま、両親と親友の前を走り出した。



 こうして翔太郎と繭子は町を旅立っていった。
 両親が静かになった家に帰ると、ダイニングの机の上に、のたくったアーボもビックリするような汚い字で、メモが残されていた。
『おとうさん、おかあさん、いままでありがとう。
 おにいちゃんと いっしょに、さいきょうの むしポケモンを めざします。
                         まゆこ』
『最強の虫ポケモン、か。俺を超えるのか。そりゃあ大変だ』
「繭子と翔太郎ならできますよ。なんたって、最高の家族ですもの」
 両親は笑いながら、今子供たちはどこにいるだろうかと話し始めた。
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