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暑い暑い熱帯夜
 暑い蒸し暑い。熱帯夜。耐え切れず窓を全開にした。体に染み入る夜風。アクセルを踏み込んだ。風が強くなった。
 真夜中の住宅街。軽自動車は身軽に直線道路をすっ飛んでいった。
 一定間隔で置かれた街灯でできた影が、リズムよく後ろから前へすっ飛んでいった。一つ過ぎる度に風が冷たくなる。

「あれ?」

 思わず声を漏らす。道の真ん中にあれは何だあれは何だ――人の形をした棒が真ん中につっ立っていた。しかもその棒は俺と同じ背格好で俺と同じ服で俺と同じ顔

 ドッペルゲンガー?

 ありえないありえないありえない。

 気付いたら思い切りブレーキを踏みつけてハンドルを回していた。
 軽自動車は鼻先を逸らし、人影を避けて反対車線にはみ出した。
 さっと振り向いた斜め後ろ。誰もいない誰もいない。見間違いだ。
 俺と同じ背格好で俺と同じ服で俺と同じ顔なんて

 いた。目の前に。

 そいつは真っ赤に血走った目で俺を睨むと、ニタアと笑った。口が裂けて長い舌が出てきた。俺だったそいつの形が崩れて俺じゃない別のものに変質していく。そいつが真っ黒になって夜闇に紛れてすっかり消えてしまうまで、俺は身動きできなかった。


 冷たい夜気が頬に触れて、はっと我に返った。車体はすっかり対向車線にはみ出している。向こうから車が来ない内に、さっさと戻さないと。

 ギアをドライブに入れようとして、既に入っていることに気付いた。ブレーキからはすっかり足が浮いていた。車は地面に張り付いたように動かない。

 どういうことだ。寒気がした。俺はハンドルを回したり、ギアを変えたりしてみたが、車は溶けたガムみたいに地面にべったり張り付いて離れなかった。エンスト? オートマなのに。向こうから光が近付いてきた。どういうことだ。アクセルを踏む。動かない。光が近付いてくる。ギアをリバースに入れた。パーキングに入れてドライブに入れ直した。対向車。でかい。トラック。エンジンをかけ直した。アクセルを踏んだ。動かなかった。

 対向車のヘッドライトが辺りを照らした。目の前が真っ白になった。


 あっちこっちパトランプの赤い光で照らされている。
「これじゃあ、何が原因だったか分かりそうにねえなあ。まあ十中八九エンジントラブルだろうが」
 刑事が事故現場を睨んでいる。

 住宅街のど真ん中で、トラックが軽自動車を踏み潰していた。ほとんど真っ向から衝突していて、軽自動車の前部座席まですっかりへしゃげていた。

「しかし運がいいよ。両方とも命は助かったんだからな」
 刑事が俺を見た。俺はただすいませんと頭を下げた。


 あの時、俺はシートベルトを外して開きっぱなしの窓から外に出た。後ろで轟音がして、俺は思わず地面に這いつくばった。地面が揺れた。
 空気の震えがおさまって、俺はノロノロと体を起こした。

 目の前でゲンガーがうけけと笑って、真っ黒な影の中に消えていった。

 蒸し暑さが戻ってきた。熱帯夜だった。
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