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光ある方へ
 キランは膝の上でぎゅっと拳を握った。道場の扉の向こうから「ぎゃー」と悲鳴が聞こえてくる。次はキランの番だ。

 ライモンシティの警察署に配属されて早々、新人全員が警察署所有の青空道場に呼び出され、何事かと思ったら「とりあえず全員整列して待ってろ!」と先輩たちに言われた。仕方ないので並んで隣同士喋りながら待っていたら、順番に呼び出された。
 道場の扉の向こうから、「ぎゃー」とか「うわー」とかひっきりなしに悲鳴が上がる。悲鳴がやんでしばらくしたと思ったら先輩が顔を出して「次」だ。

 一体扉の向こうで何が行われているのだろう。先に出てきた人に聞いても、笑ってはぐらかされたり「お楽しみ」と言われたりとにかく要領を得ない。
 なんだろうと思っている間にもうキランの番だ。


 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。腰のベルトに付けた四つのボールに順に触れた。イッシュを回る旅で苦楽を共にしてきた大事なポケモンたちだ。
 道場の冷たい扉を開ける。道場の高い壁の上には、切り取ったような曇り空があった。床は土で固めた地面が剥き出しになっている。それから、広い。ライモンドームが楽々入りそうだ。

「カシワギ・キランだな」

 よく通る声でキランの名を呼んだのは、警察署の先輩方の一人だ。彼以外にも五人ほど、キランがいる方とは逆の端に控えていた。皆キランより少し年上ぐらいの人たちばかりである。
 キランの名を呼んだ先輩が、彼以外のメンバーを見回す。この中では最年長の彼が仕切っているらしい。「誰が相手する? 順番的にはソルトか」
「ソルトはいませーん。回復しに行ったっきり戻ってません」
 一人がおどけた口調でそう言う。最年長の男が顔をしかめる。
「帰ってくんの遅くないか」
「オレ見に行きまーす」
 おどけた口調の男が手を上げて、キランが入ったのとは別の出口から去っていく。
「じゃあ」
 最年長の男が言った。
「そうなると二人飛ばして」

「私だ」

 道場に静かな声が響いた。響いた、というのはおかしいかもしれない。ごく自然に、伝わった、というべきか。

 声の主――黒いコートを纏い、真っ黒な髪に一点鮮やかな紅のメッシュを入れた女性が、つかつかとキランの方に歩いてきた。
 そして、道場の真ん中で立ち止まり、土の上に落ちていた旗を拾った。三十センチほどの棒の先に警察のマークを、紺地に白で染め抜いた旗が付いている。やや手抜きな造りの旗、である。


「ルールは簡単、先輩の持ってる旗を取れ! 新人はポケモンが全て“ひんし”になったら負け! ただし」
 さっきの男が声を張り上げる。道場の厚い壁で跳ね返ってワンワンと響いた。

「双方何をやっても構わない! ……怪我には気を付けて。名乗って!」

「か、カシワギ・キラン! よろしくお願いします!」
「カミサカ・レンリだ」
 言うなり、彼女――レンリは旗を上空に投げ上げた。間髪を入れず、彼女は四つのボールを全て開放する。
「はじめ!」
 遅れて仕切り役の先輩の声が続く。


 道場の土の床に、四匹のポケモンが降り立った。
 ドレディア、コジョンド、チラチーノ、ゾロアーク……どれも進化形の、強そうなポケモンばかりである。遅れて落ちてきた旗をレンリは右手で受け止め、絡まった紺の布を解くように軽く振った。
 キランは少々気後れしながらも、自分のポケモンを全てバトル場に出した。一応、イッシュ地方のジムバッジは全て手に入れている。小さな大会だが優勝したこともある。その矜持にかけて、おめおめと負ける気はない。

「ウィリデ、“おいかぜ”!」
 キランのパートナー、いたずら者の綿羊が風を巻き起こす。常に味方を後押しするように吹く風。これでキランの側の機動性は大幅に高まる。

「コルヌーはドレディアに“ハードローラー”、ノクティスはコジョンドに“エアスラッシュ”、カリュブスはチラチーノに“ドリルライナー”!」
 指示を受けたポケモンたちが走り出す。ドリルライナー以外は相手の弱点を突いた技だ。まともに受ければ先輩のポケモンと言えどただでは済むまい。
 対するレンリは慌てず騒がず、左手の人差し指と親指で輪を作り、口の中に入れた。

 ぴゅいーっ、と大きな音がバトル場に響いた。

 敵陣に向かっていた三匹の内、ココロモリが指笛に驚いて前進をやめ、行き場に迷って垂直上昇に転じた。残った二匹、ペンドラーとドリュウズは指示通りに相手のポケモンに突っ込んでいく。

 しかし。

 ドレディアに向かっていたペンドラーの巨体がたたらを踏んだ。ガシガシと音を立てて大きな岩がペンドラーの目の前に突き刺さる。岩の発生源、小さなチラチーノが不敵に笑う。
 チラチーノに向かっていったはずのドリュウズはコジョンドの長い体毛で胴を薙ぎ払われ、頭の鎧と爪を閉じ合わせた状態のまま道場の壁際まで転がっていった。

「走れ」

 その端的な指示が下ると同時に、レンリのポケモンたちは四方に散った。
 コジョンドが鞭のように体をしならせ、道場の壁にぶつかったドリュウズの方向へ飛び出す。チラチーノはバトル場のど真ん中へ躍り出た。
「コルヌー、“メガ……」
 キランの指示を叩き潰す勢いで、中央のチラチーノが大声を発した。鼓膜を破りそうな音波に、思わずキランは耳を塞いだ。その隙にコジョンドはドリュウズに飛び膝蹴りをかます。

 キランの目の前を横切って、ドリュウズがふっ飛んでいく。頭の鎧と爪を閉じ合わせて、ちょうどラグビーボールのような形状になったドリュウズは、途中にいたペンドラーも巻き込んで道場の逆の端まで飛んでいった。
 ドリュウズがラグビーボール状態を解いた、と同時に脱力してその場に崩折れる。
「新人のドリュウズ、戦闘不能だ!」
 外野が愉快そうに声を上げる。キランは唇を噛みながらドリュウズをボールに戻そうとし

「ぷめっ!?」

 キランの死角から悲鳴が上がった。
 見ると、エルフーンがいつの間にか回り込んでいたゾロアークに火炎放射を食らっている。
「カリュブス、ウィリデも一旦戻って!」
 二匹にボールを投げて回収する。手元に戻ってきたボールをベルトのいつもの位置にはめ込みながら、キランはバトル場を見回す。

 こちらは三匹、相手は四匹で全員が無傷だ。とりあえずはココロモリとペンドラーで凌いで、相手の先輩、レンリが持っている旗を取る方法を考えなければならない。

 と。
「スー、ユン、休んでおけ」
 相手の女性が声を上げる。スー、ユンというのはポケモンの名前なのだろう。呼ばれたコジョンドとゾロアークがその場に座り込んだ。
「ちょっと、どういうことですか」
「ハンデだ」
 少し間があって、
「一太刀も浴びせられないようじゃ、目に余る。なんならチラチーノも休ませておくが」
 不満そうなキランの顔を見て、レンリが平然と答える。
 三対一。三匹がかりでドレディア一匹も倒せないと思われたのか! とキランは心の中で叫んだ。バッジを八つ集め、小さな大会で優勝したキランのプライドがガラガラと崩れていった。

 キランの隣ではゾロアークがお座りどころか完全に横になっている。コジョンドの方はまだ座禅を組んでいるような体勢だというのに。しかもキランに背を向けて、片手で頭を支え、もう片方の手はひらひら振っているという始末。挑発か。これが本場悪タイプの挑発か。キランは挑発に乗った。

「余裕かまして、後で吠え面かいても知りませんよ」
「そういうのはせめて、相手の一匹ぐらい倒してから言うもんだ」
「言いましたね?」
 キランは指でターゲットを示して、ペンドラーに“ハードローラー”の指示を出した。一秒後にはゾロアークがペンドラーの巨体の下敷きになっていた。

「なんでもあり、でしたよね」
「そうだな」
 馬鹿だろスー、と呟きながらレンリがゾロアークをボールに戻す。
「これで三対三ですよ」
「どうだか」

 棒立ちのままの相手のポケモンたちに、キランは攻撃を再開する。“おいかぜ”の補助は消えたが、再びエルフーンを呼び出す気はまだない。
 ココロモリが上空から空気の刃を撃つ。ペンドラーには“こうそくいどう”を指示する。
 そして、ボールの一つをいつでも使えるように、右手で構える。

 チラチーノが鬱陶しそうにキランを睨んで地面に潜った。
「ノクティス、そのまま続けて“エアスラッシュ”!」
「ナン、“ソーラービーム”」
 レンリが呟いた音に反応して、彼女の後ろに控えていたドレディアが太い光線を撃ち出す。

 白い光の束がココロモリを捉えた。ソーラービームの直撃を受けたココロモリは地面に落ちそうになる。が、なんとか空中に踏みとどまった。
「“ちょうのまい”の後なら大体やられちまうんだが。ココロモリの特性は“てんねん”かな」
 外野の解説が入る。レンリが小さく舌打ちをした。ドレディアは“ちょうのまい”を使って自分の能力を上げていたらしい。ならば。

「ノクティス、“じこあんじ”!」
 ココロモリが目を閉じて瞑想の姿勢に入る。そして、力がみなぎってきたところで目を開く。
「ドレディアに“エアスラッシュ”!」
 相手のドレディアも負けじと“はなびらのまい”の体勢に入る。そして、踊りながらリズムよく風の刃をかわした。攻撃のために高度を下げていたココロモリが慌てて上昇した。こちらの攻撃が届く範囲はあちらからの攻撃も届く範囲だ。蝙蝠の足元で花びらが散った。
 標的を失った花びらがペンドラーの方に飛ぶ。慌ててキランは指示を出した。

「コルヌー走って! ドレディアから逃げて!」
 深紅の光沢のある花びらを撒き散らし、自身も少し光りながら、ドレディアがバトル場の真ん中に文字通り躍り出る。軽やかなステップでペンドラーに迫るが、ペンドラーの方も素早くなっているから、舞いながら動くドレディアに距離を詰められることはない。しかし、ドレディアの周囲に大ぶりな花弁が舞っているため、こっちから近付くこともできない。


 キランは次の手を巡らしながら、右手のボールをギュッと握りしめた。策はある。だが突破口をどう作る?

 道場の中心を見る。
 ドレディアが舞いながら、手のひらほどもある深紅の花びらを撒く。花びらを撒く度、ドレディアの纏う光が強まっている。ペンドラーは距離をとってダメージを抑えているが、消耗が酷い。
 キランはじりじりとバトル場の中心に近付いた。そっと右手のボールの中身に指示を出す。
 “はなびらのまい”の範囲ギリギリまで近寄って、キランはポケモンたちの様子を窺った。

 舞の終曲。ドレディアはこれが最後の見せ場とばかりに花びらを撒いた。と同時に、
「全力でドレディアに攻撃して!」
 これ以上ないほどの大声で叫びながら、キランはボールの開閉スイッチを押し込んで出来るだけ遠くへ届くように投げた。レンリの近くに。

 ペンドラーが頭の角を振りかぶり、なおも光り続けるドレディアに走り寄って振り下ろす。ココロモリが翼の先に風の刃を作り出した。
「ナン」
 レンリが静かに、だが不思議と伝わる声で呟いた。その声が伝わると同時に、ドレディアが眩しい光条を発した。踊りながら光っていたのは“ソーラービーム”に使う光を溜めていたからか、と気付いた時にはもう遅い。

 太い光の柱が立った。光の柱は今まさにドレディアへ“メガホーン”を食らわそうとしていたペンドラーの上半身を包み、そのまま上へ昇ってココロモリも直撃した。光線の直撃を食らいながらも、ココロモリは最後の力で“エアスラッシュ”を放つ。

 その時にはもう、エルフーンが旗の先端を掴んでいた。キランがボールに入っていたエルフーンに出した指示は“どろぼう”。エルフーンは持ち前の身軽さで旗を奪おうとしたが、力が足りずに一瞬レンリと引っ張り合いになった。
「ベー」
 その一瞬の間にレンリは何かを呟く。紺の旗が翻った。と、そこにないはずの黄色が顕になる。

 彼女の五匹目、小さな電気蜘蛛。

 バチュルがビームを撃った。エルフーンが「ぷめっ」と悲鳴を上げて弾き飛ばされる。それでもエルフーンは旗を手放さなかった。
 手放したのは、レンリ。
「あっ」
 外野とキラン、両方から声が上がる。

 旗を持っているのはキランのエルフーン。
 ただし、エルフーンもペンドラーもそれからココロモリも、全員地面に伸びている。

「これは……」
「引き分けだな」
 最年長の男が言った。レンリはキランに黙礼すると、バチュル以外のポケモンたちをボールに戻して、道場を出ていった。旗を持っていた方の腕を押さえながら。



「やるなあ、新人」
 道場に残った先輩たちの賛辞をすり抜けて、キランはレンリを追って道場を飛び出した。彼女にはすぐ追いついた。

「あの、先輩」
 さっきの今で何と呼べばいいのか分からず、無難な呼び方にする。レンリが振り返った。
「それ、すいませんでした」
 レンリが腕を押さえていた手を放す。その下から血がじわりとにじみ出てきた。

 最後にココロモリが放ったエアスラッシュが外れて、レンリが立っていた地面の近くに溝を作っていた。溝の延長線上に彼女が立っていた。
 バトル中の事故。だが、ココロモリのトレーナーであるキランの過失だと思った。

「これか。構わない」
 レンリが右腕の傷を横目で見ながら言った。それから左手の袖で右頬を拭う。
「ルール無用のバトルなんだ。怪我をした方が不注意だ」
「じゃなくて」
 キランは彼女の顔を見上げる。レンリの方が背が高い。言い辛い。

「顔に傷つけたから。すいません」
 レンリが左手を下ろした。右目の下に赤い縦線が付いていた。擦った所為でそこから赤が広がっている。

「さっきも言った。構わない」
「でも、女性の顔に傷付けるのは」
「こういう職だ。傷くらい当たり前だ」
「僕が気にしますよ」

 途端、視界がグルリと回った。
 そして背中から地面に落とされる。

 突然のことに呆然としているキランの頭上から声がした。
「そういう台詞は私より強くなってから言え」
 そして、足早に去る靴音がした。
 キランは何故投げられたのか考えていたが、結局答えは出なかった。



 運命にしろ偶然にしろ、悪戯好きなのだとキランは思った。
 昨日戦った女性がキランの上司だなんて。

 黒髪に入れた紅いメッシュを入れ、肩にバチュルを乗せた彼女は右手を差し出してこう言った。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
 キランは戸惑いながらも差し出された手を握り返した。間近で見えた顔には絆創膏が貼ってあった。とそのまま乱暴に手を引っ張られた。対処する間も与えられず、キランたちは部屋の外に出る。

「あの、どこ行くんですか?」
 足早に進む彼女に合わせながら、問いかける。レンリはキランをちらりと振り返って「道場だ」と答えた。
「昨日も言ったが、お前の弱さは目に余る。こんなのが部下では、命がいくつあっても足りん」
「こんなのって」
「なにか文句はあるか? キラン」
「いいえ。別にないですよ、レンリさん」
 手が離された。レンリは構わずズンズンと歩き続けている。

 キランはその背を慌てて追いながら、強くなって彼女に追い付けたら、昨日の台詞をもう一度言ってもいいのだろうかと、ふとそんなことを考えた。
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