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コマンド
 全く、僕の上司は何を考えているんだろう。彼女がしっちゃかめっちゃかなのは百も承知だが、そのせいで蚊が飛び交う草むらの中で半日もしゃがむことになると、自然と彼女への愚痴も増えてくるというものだ。草むらと低木をぬって向こうを見透かすと、灰色の、如何にも怪しい真四角の建物が、森の中に不自然に建っている。
 今回の任務は、あの建物で行われているという、研究の中身を盗み出すこと。
 蚊に刺されようが、足がしびれようが、僕は一応、警察の端くれ。今回のは、俗に言う、潜入捜査みたいなものだ。……が。

 僕はなるべく動かないようにして、携帯電話の時刻を確かめる。午前二時。ここに到着したのが真昼の十二時。上司が移動時間を思いっきり間違えたせいだ。しかし、だからと言って帰るわけにもいかず、僕が密偵を放ったのは、夜の九時。丸々、九時間を無駄にしたことになる。それとも、上司は僕が森の中で九時間も迷うと思ったのか? 全く、何を考えているのか分からない上司だ。っていうか部下の能力信じろよ。
 そんなことを考えていると、密偵が帰ってきた。五時間。上出来だ。
「ありがとう、ウィリデ」
 僕は丸い羊の姿を持つパートナー・エルフーンの小さな手から、紙とペンを受け取った。それから、バッグを探ってポロックケースを出した。
 敵アジトの見取り図を作る、という大役を果たして帰ってきたフワモコのパートナーにポロックをやる。僕もバッグからひしゃげたパンを出して口にした。何も食べないよりはマシだ。見取り図に目を通し、「よし!」と小さく気合いを入れて立ち上がる。目指すはウィリデが探れなかった、地下一階の最奥の部屋。そこだけロックがかかっていたらしい。地図にはウィリデの手で鍵のマーク。

「行こう、ウィリデ」
 ……とその前に。
 携帯電話のカメラを向け、見取り図を電子データにして上司に送る。こんなことをしても、彼女が何かしてくれる可能性は皆無だろうが。液晶画面が送信完了の文字を映し出したのを確認してから、僕は建物に向かう。
 空気抵抗をたっぷり受けてふわふわと進むパートナーを抱き上げてから、僕は歩き出した。



「ウィリデ」
 僕が小声で呟くと、パートナーは合点承知と頷いて、草笛を使った。宵っ張りの研究員だか何だかは、あっという間に睡魔に落ちて静かになる。人間、夜は寝なくちゃな。軽いハイタッチをかわして、僕らは軽快に建物の中を進んでいく。
 元より、こんな森の中に警察なんて来ないと踏んでいたのだろう。警備員もいなければ監視カメラもない、ザルよりも目の粗い警備だった。
「楽勝、楽勝」
 このまま地下一階の部屋に進み、違法な研究――ポケモンを不当に苦しめるとか、そんな研究――をしているという証拠をカメラで撮って、とんずらだ。

 ……と、調子こいて部屋の前まで来て、大事なことに気付いた。
「ロックがかかってるんだった……」
 目の前には、頑丈そうな扉と、ひと抱えもありそうなモニタと、標準サイズのキーボード。キーボードからパスワードを入れる形式だろう。問題はそのパスワードだが……
 僕はどこかに隙がないか、扉を観察した。ウィリデが僕の腕からおりて、たっぷりした綿毛をふるわせる。
 ウィリデの、エルフーンの能力なら、わずかでも隙間があればその部屋に入り込める。それすら出来ない、隙間のない部屋ということは、やっぱり重要なブツが置いてあるに違いない。
 諦めるわけにはいかない。目的のものがすぐ目の前にあるのだ。
「とりあえず……」
 ダメもとでキーボードに触れてみる。途端にモニタに光が灯り、赤青二色の姿がそこに映し出された。赤と青のY字の体、頭は少し離れたところに浮いている、ポケモン。目は奇怪な丸を描いている。
「ポリゴンZだね」
 己が電子データになってコンピュータ中を自由に飛び回れるという、アナログな僕には縁のなさそうなポケモンだ。ポケモンバトルでは高い特殊攻撃力から強力なノーマル技を出してくる。扉を守る番人かもしれない。
「バトルになるかもしれない。注意してね、ウィリデ」
 フワモコパートナーは「任しとけ」とばかりに自分の胸を叩いた。
 さて、とモニタとキーボードに向かい合う。適当にパスワードを入れたら開くかもしれない。そう思ってキーボードに手を伸ばすと、画面の中のポリゴンZとがっちり目が合った。
「…………」
 攻撃してくる気配はない。もしかしたら、パスワードを間違えたりしない限りは、攻撃しないようになっているのかもしれない。やってみるしかない。
 ……けど、
「……ヒントとか、ないかなあ?」
 キーボードには二十六個のアルファベットと十個の数字と、記号がいくつか。それらを組み合わせたパスワードとなると……
「だめだ。分からない」
 映画や小説なら、それまでにヒントが出てきて扉が開くようになっている。けれど生憎、僕らがここに辿り着くまでにヒントは出なかった。

 うーん、とウィリデに心配されるほど唸ってから、僕はダメもとで携帯電話を開いた。メールが来ていた。
 僕は上司からメールが来たことに驚愕しながら、その場にしゃがんでウィリデにもメールが見えるようにした。といっても、ウィリデは文字を読めないけれど。
 件名はなし。本文には簡素に、用件だけが書かれていた。

『ロック ↑↓↑↓←→←→LR』

 携帯電話の画面と、キーボードを慎重に見比べる。キーボードの右下には矢印、そして中程にはアルファベットのLとR。
「パスワードっていうよりコマンドみたいだけど……やるっきゃないか」
 僕の上司は何を考えているか分からない、メチャクチャな人だ。けれど、今まで間違えたことはなかったし、これからもないだろう。僕は彼女を信じて、キーボードに歩み寄った。

 上からのポリゴンZの奇妙な視線を感じながら、僕は静かにキーボードに触れる。

『 ↑ ↓ ↑ ↓ ← → ← → L R 』

 人差し指がエンターキーに触れ、カタンと軽い音をさせて押し込んだ。と同時に、カチッと音がして扉が――

 開かなかった。
 代りにモニタが開いて、ポリゴンZが飛び出してきた!

「げっ」
 なんでだよ、と思う暇もない。画面から飛び出して戦闘態勢に入ったポリゴンZは、景気よく破壊光線のチャージを始めている。ついでにザルのような警報装置も作動したのか、ワンワンと五月蝿い音を立てて、お決まりの赤いランプがくるくる回っている。

 破壊光線が壁に着弾し、壁を崩落させて盛大に轟音をぶちまける。何だ何だ、とおねむのはずの研究員たちが続々と集まってくる。そんだけ大きな音がしたら集まるでしょうよ。オマケに目がばっちり覚めてしまって、さっきまでのように簡単に草笛でグッナイとはいきそうもない。
「何だ、一体!?」
「侵入者だ!」
「本当に来たのか!」
 研究員たちの言葉にちょっと引っかかったが、今はそれを考えている暇はない。なにせ、到着した研究員が次々にポケモンを繰り出してくるのだ。
「もう……。ウィリデ、綿胞子!」
 足元から電光石火の勢いで飛び出した子羊が、フカフカした毛から白い綿を存分に生み出した。特性のいたずら心をいかんなく発揮して、相手のポケモンを綿まみれにする。素早さが落ちたところを、手数で攻める作戦だ。
「ウィリデ、エナジーボール! カリュブス、加勢して地ならし!」
 流石にウィリデだけでは心許ない。もう一匹、頭と爪を鋼の装甲で覆った土竜ポケモン・ドリュウズを呼び出す。
「さて、ガンガンいくよ!」
 後ろのポリゴンZが、破壊光線の反動から回復していた。カリュブスが一撃を加えると、まだまだと言うように破壊光線のチャージを始める。……もしかして、破壊光線しかやらないのか? そう思っている合間に、二度目の破壊光線が発射された。軌道は大きく逸れ、別の壁に穴を開ける。反動で動けない間にカリュブスが攻撃を加える。ついでに、破壊光線にビビってる研究員のポケモンにも。
「レベルは低そうだし、数が多いだけなら勝てるかな」

 なんて考えて、戦い始めてから十五分ほど経過した。
 相手のポケモンは一向に減らなかった。戦闘不能になる傍から次のポケモンを投入してくるので、キリがないったらありゃしない。補助に回っているウィリデはともかく、主砲を務めるカリュブスは疲れ気味だ。
 ちなみに、番人のポリゴンZは悪あがきで自滅した。

「ああ、もう!」
 僕も流石に、終わりの見えない戦いに焦れてきた。ポケモンが増えるだけならまだしも、研究員連中まで増えている。そして増えた研究員が、また新たにポケモンを投入する。
「やってられない! ウィリデ、カリュブス、引こう!」
 ウィリデは素直に賛成と手を上げたが、カリュブスは不機嫌そうだった。ここまで戦わせといて逃げんのかよ、と言いたいのが手に取るように分かる。
「それは、ごめんね、カリュブス。でも、もうひとつ頼まれてくれるかい?
 ……天井にドリルライナー」
 言うが早いか、カリュブスは鋼となった爪を閉じ合わせ、体を高速回転させた。そのまま飛び上がって天井に突っ込み、今度は天井を崩落させた。
 ぎゃああ、と研究員たちの悲鳴が聞こえる。
「ごめんね、でも僕、そろそろ帰りたいから」
 カリュブスをボールに納め、ウィリデを抱えて、僕は瓦礫の山を登るとさっさと灰色の建物から出て行った。



「遅かったなあ、キラン」
 思いがけず、名前を呼ばれた。森の出口には、思いがけない人がいた。
 黒い髪にダルそうな目、左側に一房赤のメッシュ。間違いなく、僕を森に送り込んだ上司その人だ。しかし、なぜここに?
「レンリさん、一体何して……」
「何って、ほら」
 僕の疑問を聞いているのかいないのか、上司は小さなデータカードを見せた。
「意味が分かりませんが」
「違法な研究の研究資料だよ、お前が取りそこねた」
「そう、結局研究のは取りそこねて……って、ええええええ!?」
 あ然として立ちすくむ僕に、彼女は大事はなかったかのように、淡々と説明し始めた。

「十二時頃だったかな、お前が着いたの。その前にあの建物に入り込んで、お前みたいな格好の怪しい奴が来るって言い触らしておいたんだ。
 研究資料とかの大事そうなデータを、奥の部屋から出してきてパソコンに移してたっけなー。元の紙のデータとかも燃やしてて」
「じゃあ、僕が見取り図送ったのとか、パスワードとかは……」
「ああ、あれ。
 怪しい奴がいるぞー、って確固たる証拠になったよ。連中に見せたら信用してくれてな。ロックのかかった扉に誘いだして捕まえるって案に賛成してくれた。
 お前、警報装置作動させたろ? お陰でみんな出払っちゃって、こっちはデータ取り放題だった」
 色々な感情が体を駆け巡った。怒りとか、怒りとか、怒りとか。というか、僕を囮として利用したのか、この人は!
「ま、いいだろ? 無事だったし、こうして証拠も手に入ったしさ」
 脳天気そうに夜明けの空に向かって手を振る上司を見ると、こっちは何だか気勢を削がれてしまう。まあいっか、と上司と同じことを思いながら、僕はひとつのことを心に誓った。

 上司のコマンド(命令)には、もう易々と従うまい。
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